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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
231:左平(仮名)2009/04/25(土) 02:53:37 ID:FJO82zTv0
三国志(2009年04月)
今回のタイトルは「南中」。諸葛亮が動き始めます。が…その前に、曹丕の、再度の親征です。
人からすれば思いつきのようでも、曹丕としては、それなりに考えての親征。しかし、君臣の心が一致しているとは
言えない現状では、どれだけの意味があるのか(表立って反対意見を述べたのは劉曄くらいですが…)。
省27
232:左平(仮名)2009/04/25(土) 02:55:25 ID:FJO82zTv0
続き。
瀕死の夏侯尚を見舞った後、曹丕は、「それだけの男であったのか」と呟きます。不思議と、ここの書かれ方は淡々と
していますが、それだけに、人情というものを解さない曹丕の寒々とした感覚が感じられます。
…どうして、曹丕には、こうも眉をひそめたくなるような話しかないのか。これでどうして『文』帝なのか。建国から
まだ数年。清々しいはずのこの時期において、早くも不快感があります。王朝は、しばしば、初代の帝王の性格に影響
省21
233:左平(仮名)2009/05/24(日) 01:23:54 ID:85J6nSxv0
三国志(2009年05月)
今回のタイトルは「曹丕」。本作において個人名をタイトルにする場合、初登場か何らかの見せ場が、というところなの
ですが、「曹操」「劉備」と続くと、なんというか…。
今回は、まず、鮑について描かれます。前にもあったように、曹丕の不興を買い、しばし遠ざけられていた鮑ですが、
省26
234:左平(仮名)2009/05/24(日) 01:25:16 ID:85J6nSxv0
続き。
その事態は、極めて急に起こりました。鮑の処刑からほどなく、曹丕が崩じたのです。
病に臥してから一月足らず。当年齢四十の壮年で、武芸にも長け、持病もない彼の急逝は、当然ながら、波紋を投げかけ
ました(春秋の筆法で言えば、鮑を殺した報い、ということでしょうか)。
幸い、まだ意識がはっきりしている間に立太子は為されましたので、この点は良かったのですが、太子に曹叡が選ばれた
ことには、群臣達に多少の驚きがありました。先の、とつくとはいえ、皇后との間に生まれた嫡長子。なんの問題もなさ
省24
235:左平(仮名)2009/06/21(日) 01:20:53 ID:VtX07A/g0
三国志(2009年06月)
今回のタイトルは「孟達」。この名がまた出てきたということは…。諸葛亮がついに動き始めます。
「これを読んで感涙せざる者は人にあらず」。千古の名文として知られる「出師表」。「危急存亡の秋」という言葉は、
この時点の蜀漢にはややそぐわないところがある(南征に成功したことで国力はまずまず充実している)ものの、その
省27
236:左平(仮名)2009/06/21(日) 01:22:24 ID:VtX07A/g0
続き。
諸葛亮と孟達との書簡のやりとりは続きますが、孟達はなかなか動きません。互いに「相手が動いたら連動する」という
発想に陥っていたためです。それに異を唱えたのは、魏延でした。
ここでの魏延はただの武人ではありません。「もし孟達が先に動いたなら、魏との戦いを始めるという栄誉は孟達のもの
となり、我らの大義は損なわれる。丞相は失敗しないよう慎重になる余りに、この戦いの原点をお忘れではないか」。
省23
237:左平(仮名)2009/07/25(土) 02:14:54 ID:wQjkGeU20
三国志(2009年07月)
今回のタイトルは「箕谷」。いよいよ、魏vs蜀漢の戦いが始まるわけですが…。
孟達がぐずぐずしているところへ、司馬懿が急襲を仕掛けます。まさに「神速」。完全に虚を突かれた形になったため、
兵の士気の差も歴然たるものがありました。
省29
238:左平(仮名)2009/07/25(土) 02:18:52 ID:wQjkGeU20
続き。
自らの提案が却下されたことに不満を持つ魏延。しかし、諸葛亮の次の言葉に、さらなる衝撃を受けます。
「先鋒は馬稷」
この選択についての宮城谷氏のコメントはかなり辛口です。こと軍事面に関しては、諸葛亮は袁紹と同程度である、と。
行政面についてはまさしく名宰相である彼も、万能ではありませんでした。
もし、この時、黄権のような人物がいれば…。この頃から、蜀漢は人材不足に悩まされていました(魏延の提案を却下
省24
239:左平(仮名)2009/08/23(日) 01:37:07 ID:bq1phsVL0
三国志(2009年08月)
またしても迂闊なことを。馬謖の名をを書き間違えてしまうとは。気を取り直して。
今回のタイトルは「街亭」。まあ、第一次北伐とくると、この名前は当然出てくるところですね。
省32
240:左平(仮名)2009/08/23(日) 01:39:56 ID:bq1phsVL0
続き。
同じ敗戦でも、趙雲のそれがそう思わせないほどにみごとなものであったのに対し、馬謖のそれは、甚だ無様な
ものとなりました。
副将の王平がまっとうな行動をとっているだけに、「策士、策に溺れる」を地でいく馬謖の判断ミスが余計に
目立つのです。
省23
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