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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
255:左平(仮名)2010/02/24(水) 00:09:07 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2010年02月)
今回のタイトルは「悪風」。この、意味するところは果たして…。
前回のラストで触れられた長雨が、間接的にですが、今回の諸葛亮と司馬懿の対決に決着をつけることになりました。
例年にない長雨。それとあわせてもたらされた、李厳(改名して李平)からの知らせは、諸葛亮に撤退の決断をさせる
には十分すぎました。
長雨で補給路が断たれてしまっては、いかに戦況が有利とはいえ、戦えません。諸将に異存が出なかったのも、無理も
ないところでしょう。
もちろん、将帥として成長した諸葛亮のこと、後拒にも抜かりはありません。
蜀漢軍、撤退開始。
この知らせを受けた司馬懿は直ちに追撃を命じますが、ひとり張郃は異を唱えます。魏にとっては、今回の戦いは防衛
戦。撤退する軍勢をことさら追撃する必要はないのです。しかし、司馬懿はこれを却下。不満を抱きつつも、方針が追
撃と決まった以上、それに従うのが武人の務め。張郃は、猛烈に追撃を開始します。
老練な張郃ですが、罠や伏兵を警戒しつつも、猪突猛進。時に忘我の境地に立ってこそ、無類の強さを発揮することが
ある。この時の張郃がまさにそれで、結果として、蜀漢軍に少なからぬ損害を与えます。
しかし、国境付近の木門まで追撃した、その時…
…蜀漢軍の伏兵の放った矢が、張郃に命中。即死ではなかったようですが、この傷がもとで、張郃は落命します。
将兵は名将の死を大いに嘆き悲しみましたが、司馬懿は、どこか心が軽くなったことを感じます。曹操の戦い方を継承
する唯一の存在であった張郃がいなくなったことで、自分の戦い方への批判者がいなくなった。そういうことでしょう
か。
ともあれ、蜀漢軍が撤退したことで、司馬懿は、勝利したという形を作ることができました。曹操以来の名将・張郃と
引き換えにするにはどうかという気がしますが。
続きます。
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