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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
261:左平(仮名) 2010/04/03(土) 11:18:12 ID:???0 [sage ] 続き。 ともあれ、呉の使節団は出港しました。時は春。孫権は上機嫌で送り出しました。その末路がいかなるものになるかも 知らずに。 往路は、まずは無難に進み、無事、遼東に到着しました。しかし、どこか様子が変です。呉に臣従するという割には、 遼東側に謙譲の姿勢が見られないのです。 (呉に臣従する以上、呉の使者の下に立つべき、と言われた公孫淵が)「困ったな。われは人をみあげたことがない」。 と言うあたり、使者を派遣した意図が何なのかさえ分からなくなります。 これには、呉側も疑心を抱き、兵の数を恃んで…と思っていると…「これが、彼らのさいごの夜となった」のです。 …呉も、遼東も、互いに相手を利用することしか考えていなかったということでしょうか。 劉曄の最期のところで、「巧詐は拙誠に如かず」という言葉が出てきました。劉曄については、そう言うのはいささか 酷ではないか、と書かれていましたが、彼らはどうなのでしょうか。 以前の回で、孫権は、諸葛亮の誠実さを賞賛していますが、自身はそのようにはできません。難しいものです。
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