★『宮城谷三国志』総合スレッド★
277:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:44:51 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年08月)


今回のタイトルは「孔明」。そのものずばり、の回です。

蜀漢の建興十二(西暦234)年八月。陣中に星が落ち…諸葛亮が薨じました。享年五十四。前回、体調を崩したのが
省20
278:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:45:51 ID:???0 [sage ]
続き。

遺命により、撤退することは決定しています。楊儀が指揮を執り、費禕・姜維が補佐します。後拒は魏延。能力的には
何の問題もない面々ですが、それ以外のことで問題があります。
「楊儀と仲の悪く、かつ、戦意旺盛な魏延が、楊儀の指揮下で撤退することに同意するか」ということです。
ここは、楊儀・魏延の両者とまずまずの関係を築いている費禕が、魏延に、諸葛亮の遺命を説明することになります。
省18
279:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:46:47 ID:???0 [sage ]
続き。

はたして、恐れていた通りの展開に。たとえ魏延の威厳に気圧されたためとはいえ、費禕は、魏延が魏軍と一戦する
ことに同意してしまったのです。
直ちに本陣に戻り、証拠となる文書は破棄したものの、署名したという事実は厳然としてあります。
こうなると、事は急を要します。本来であれば、異変を悟られないよう、粛々と撤退を開始するところですが、諸葛
省16
280:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:48:00 ID:???0 [sage ]
続き。

魏軍は追撃を開始します(ただし、辛毗は、まだ諸葛亮の死に半信半疑ということもあってか追撃には慎重)。途中、
はまびしを踏んだ将兵が痛がるので簡易な下駄を履いた兵を先頭に立てるという奇観もありますが、このまま蜀の地に
入りそうな勢いを示します。

省19
281:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:48:51 ID:???0 [sage ]
続き。

無論、魏延とて蜀漢への忠誠は持ち合わせています。我が討たんとするは楊儀のみ。これは謀反にあらず。そのような
文言の文書を都へ送り、自身の正当性を訴えます。
しかし…軍事的観点からはともかく、政治的観点においては、丞相の後継人事という問題もある以上、戦闘続行はあり
えないことから、都にいる蒋琬達は、楊儀側が正しい(諸葛亮の遺命に従っている)と判断します。
省18
282:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:18:31 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年09月)


今回のタイトルは「増築」。星落秋風五丈原の次の回にしては…と思うタイトルですが、ちゃんと意味があります。

まずは、諸葛亮の死後の蜀漢の情勢が語られます。
省21
283:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:19:56 ID:???0 [sage ]
続き。
この人事に不満を抱く者がいました。楊儀です。

先の撤退戦の指揮をとり、我こそは…と自負していたのですが、ポスト諸葛亮体制における彼の地位は、いわば閑職。
占いの卦は、「今はしばし雌伏の時」といった感じなのですが、この現実を受け入れられず、不満の塊となります。
(一応軍師という肩書なので、平時にあっては〜ということだと思うのですが…)
省18
284:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:21:49 ID:???0 [sage ]
続き。

楊儀の自滅は、実は、彼が嫌った魏延と同種のものでした。有能ではあれど、己の狭量のため、他者と協調できなかった
ことが、破滅につながったのです。
ともあれ、彼らのような人材を生かしきれなかった蜀漢には、衰退の兆しが…という具合です。

省19
285:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:25:49 ID:???0 [sage ]
続き。

曹叡が喪失したもの。それは、母でした。そんな中、実母・甄氏の死について上奏する者が現れます(これが事実で
あれば、何者かの策謀があったということになります)。
「この皇帝は、男には優しいが女には厳しい」。甄氏の死によって皇后となり、あわせて曹叡の義母となった郭氏は、
曹叡をそう見ました。
省19
286:左平(仮名)2010/11/04(木) 00:07:40 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年10月)

今回のタイトルは「燕王」。遼東情勢が一気に緊迫してきました。

魏の元号は、青龍から景初に変わりました。この間、蜀漢・呉とも大きな動きはなく、曹叡は、宮殿の造営に専念…と
いう具合です。
省23
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