★『宮城谷三国志』総合スレッド★
286:左平(仮名)2010/11/04(木) 00:07:40 ID:???0 [sage ]
三国志(2010年10月)

今回のタイトルは「燕王」。遼東情勢が一気に緊迫してきました。

魏の元号は、青龍から景初に変わりました。この間、蜀漢・呉とも大きな動きはなく、曹叡は、宮殿の造営に専念…と
いう具合です。
まだ統一も為されていない(民の軍役等の負担は続いている)のに宮殿を壮麗にするのはいかがなものか、という諫言
はいくつも出ているのですが、曹叡はこれに対し、処罰はしないものの聞き入れもしません。
諫言に対し処罰することもあった曹丕に比べると、処罰がないだけましではあるのですが、やや独善の傾向が。

とりあえず、国境を脅かす勢力がないと見極めた曹叡は、ここで、遼東に目を向けます。先に、呉の使者を斬って首を
送ることで魏への忠誠を見せたとはいえ、その後の対応には問題があったし、何より、領内の半独立政権の存在は、魏
としては好ましいものではありません。いずれは滅ぼすべき存在である、とみます。

しかし、遼東は、魏にとって脅威というほどの存在ではありません。今は動きがないとはいえ、魏にとっては、蜀漢・
呉こそが脅威と考える諸臣にとっては、曹叡の判断は、いわば本末転倒。
またしても、多くの諫言があがってきます。

ここで、衛臻の名が。かつて曹操にいち早く協力の手を差し伸べた衛茲の子である彼は、曹氏三代に渡って貴臣として
遇された特別な人物です。その彼の諫言も、結局は受け入れられず、ついに、毌丘倹に(事実上の)公孫淵討伐の命が
下ります。

続きます。
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