★『宮城谷三国志』総合スレッド★
360:左平(仮名)@投稿 ★2012/01/06(金) 01:21:12 ID:???0 [sage ]
続き。

潘皇后が急逝したのです。看病疲れはあったにせよ、子の孫亮が幼いことからも分かるように、まだ若く特に持病もない皇后の
急逝に不審なものを感じた(首筋に痕跡があるのに気付いた)諸葛恪は、みずから調査にあたります。
不審者が侵入したのではないか。皇后の侍女に、ついで衛士に問うものの、そのような者はいませんでした。どこか衛士の死角
をついて侵入したのか、と周囲を調べますが、死角は見当たりません。
事件は迷宮入りか、と思われましたが、再度衛士に問うたところ、侍女達に不自然な行動がみられたことから、真相が明らかに
なりました。

やはり、皇后は殺害されたのです。はじめ、侍女の証言に怪しいところがなかったのは、彼女達の間で口裏合わせがあったため
でした。それほどまでに、皇后は憎悪されていたのです。
この事件の少し前に改元が行われましたが、それをもってしても、呉の不運は祓えなかったのです。

孫権の病状は、いっこうに回復しません。不安に駆られた呉の人々は、この頃、神と尊崇されていた王表のもとに集まるように
なります。
王表には、論戦を仕掛けてくる相手を言い負かすだけの弁才と学識があったことは確かなようですが、いくら彼でも、死にゆく
孫権を救うことはできません。このまま孫権が死ねば処罰されることを悟った彼は、姿を消しました。
王表が神であったかどうかはともかく、彼の逐電は、呉から神が去ったことを暗示していたのでしょうか。孫権の容態は、この
後、悪化の一途をたどります。

続きます。
1-AA