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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
377:左平(仮名)@投稿 ★2012/05/03(木) 02:18:00 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
案の定、このことが司馬師に知られました。何ゆえ、李豊が…と思うものの、複数のルートから情報があがってきたとなれ
ば、無視することもできません。
司馬師は、やや強引に李豊を呼び出し、自邸に連れてこさせました。
省23
378:左平(仮名)@投稿 ★2012/05/03(木) 02:21:36 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
李豊の屍体は、廷尉の鍾毓のところに運ばれました。あの鍾繇の子にして、父の名に恥じぬ篤実な人物である鍾毓は、李
豊の死にただならぬものを感じます。
司馬師が殺させたことは明らか。常人であればその威勢を恐れて意のままになるところですが、大将軍としての公式な文
書がない以上、これは私刑によるものであるゆえ、受け取れない、ときっぱり拒否したのです。
省22
379:左平(仮名)@投稿 ★2012/05/03(木) 02:23:24 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
「まずは、掃除、掃除」
司馬師はそう言って、李豊に続きそうな者達の排除に取り掛かります。それを「掃除」という言い方で表すあたり、司馬師と
いう人物の恐ろしさが垣間見えるようです。
省20
380:左平(仮名)@投稿 ★2012/06/04(月) 00:12:34 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年05月)
今回のタイトルは「廃位」。司馬師のいう、最後の大掃除が行われます。しかし、司馬師の悩みの種がなくなったかといえば…。
司馬昭の暗殺計画はかなり緻密なものであったようで、ついに立案者の名は出てきませんでした。この計画は、西方への遠征を
省21
381:左平(仮名)@投稿 ★2012/06/04(月) 00:14:41 ID:???0 [sage ] AAS
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それから程なく、多くの高官達が集められました。ここで司馬師が、皇太后・郭氏からの、ある文書を読み上げます。それは、
皇帝・曹芳が皇帝にふさわしくないため、もとの斉王に落とすべきである、と命ずるものでした。
…司馬師は、自分ではなく、皇太后が皇帝の廃位を言い出したという体裁をとったのです。その影に司馬師がいることはみな
省21
382:左平(仮名)@投稿 ★2012/06/04(月) 00:16:18 ID:???0 [sage ] AAS
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さて、皇帝を廃したとなれば、当然に、新たな皇帝の擁立が必要になります。では、たれにするか?
司馬師は、彭城王の曹據(曹操と環氏の子。曹沖、曹宇の兄弟)がよいと考えました。曹操の子ですから、既にかなりの高齢
でしたが、王として大過なく過ごしてきた思慮のある人物です。しかし、これは皇太后に反対されます。彼女は、曹操の孫・
省24
383:左平(仮名)@投稿 ★2012/06/04(月) 00:18:22 ID:???0 [sage ] AAS
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かくして、曹髦は洛陽に着いたわけですが、即位するまでは人臣であるという姿勢を崩しませんでした。先例を持ち出されても
己が信念を通したのです。
その姿勢に、皇太后は、あらためて好感を抱きます。そして、多くの群臣達もその挙止の清々しさを歓迎しました。曹髦の治世
は、魏の中興を予感させる、上々の滑り出しとなりました。
省24
384:おばら@投稿 ★2012/06/25(月) 17:07:57 ID:???0 [sage ] AAS
おお!超久しぶりに来てみれば、左平さんがいらした!!
秦漢三国晋談義で盛り上がったのが懐かしいですねぇ・・・
もう10年経ったかw
385:左平(仮名)@投稿 ★2012/07/01(日) 03:56:22 ID:???0 [sage ] AAS
おばらさん、お久しぶりです。
>もう10年経ったかw
そういえばもうそんなになるのですね。早いものです。では、今回のレポ?を。
386:左平(仮名)@投稿 ★2012/07/01(日) 03:58:45 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年06月)
今回のタイトルは「寿春」。王粛の予言通り、東南に兵乱が発生します。王淩の件からはまだ数年。この頃の司馬氏にとっては、
東南は不祥の地ですね。
省24
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