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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
393:左平(仮名)@投稿 ★ 2012/08/06(月) 02:13:48 ID:???0 [sage ] 続き。 一刻も早く寿春に…と思ったのでしょうが、毌丘倹は、なぜか側近のみを従えて項城を後にしました。いかに漸減していた とはいえ、まだ相応の軍勢がいたはずなのに、です。 側近のみ、とはいっても、城を出た時点では多数いたのですが、櫛の歯が抜けるように欠けていき、ついには、弟と孫のみ になりました。いくら勇将とはいえ、これでは、追っ手に捕捉されたらひとたまりもありません。 項城の異変に気付いたのかどうかは分かりませんが、寿春への途上には、既に(近隣住民も駆り出した)捜索網が敷かれて いました。 捜索を避けるべく、毌丘倹は草むらに身を潜めます。そこに、捜索に当たっていた張属が矢を放ちます。矢は毌丘倹の首を 貫きました。…数万の大軍を率い、少なからぬ功業を挙げた勇将としては、あまりに呆気ない最期でした。首をみた司馬師 が慨嘆したのも無理からぬところです。 かくして、毌丘倹の決起は失敗に終わりました。しかし、ここで新たな問題が発生しました。司馬師の容態が悪化し、ついに 亡くなったのです。享年四十八。 死期を察した傅嘏・鍾会が、司馬昭を呼び、軍の引き継ぎを行ったため、ひとまず混乱は回避できました。とはいえ、これは あくまでも私的な引き継ぎ。皇帝・曹髦の承認を得たものではありません。 当然、洛陽からは、「司馬昭は引き続き本務にあたれ(毌丘倹討伐のために動員された軍は傅嘏が率いて洛陽に帰参せよ)」 という命令が届きます。兄の後を継いだばかりの司馬昭、いきなりの重大局面です。 続きます。
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