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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
418:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:02:38 ID:???0 [sage ]
続き。
当初、ゆっくりと都に向かっていた孫休ですが、道中で出会った老人の言葉をうけ、急行します。そして、いよいよ即位。
あのおとなしかったお方が、かくも堂々と…。さすがは皇子であらせられる。側近たちを感心させる変貌を見せます。
かくして即位した孫休ですが、この時点では、孫綝の傀儡でしかありません。まずは、彼らに地位や恩賞をばらまいて、
省19
419:左平(仮名)@投稿 ★2013/03/07(木) 23:04:20 ID:???0 [sage ]
続き。
臘日。この日こそが、孫綝を除くことができる、唯一のときでした。
この日、参内を前にした孫綝は妙な不安を抱きますが、すみやかに退出できるよう図った上で、参内することとしました。
参内をせかす急使が何度も来たことにもう少し不審を抱いてもおかしくないところですが、これは、ここまで孫休が孫綝
省19
420:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:20:32 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年03月)
今回のタイトルは「好戦」。魏と蜀漢の好戦的な人々の話、といったところでしょうか。
まず最初に、孫休が孫綝を滅ぼした(西暦258年)時点での、各国の皇帝の年齢について触れられています。魏は、曹髦18歳。
省25
421:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:29:19 ID:???0 [sage ]
続き。
この時、曹髦はかなり昂奮していました。普段は、学問を好む理知的な人物という感じですが、実のところは、かなりの激情家で
あったのではないでしょうか(ただし、全く理性が吹っ飛ぶというわけではない)。
確かに、これは無謀なことです。しかし、これまで異常なほどに正当性にこだわってきた司馬氏が相手である以上、勝算がゼロと
いうわけでもないのです(皇帝の尊厳が保たれているのであれば、皇帝自ら陣頭に立てば臣下は手出しができないはず。となれば、
省22
422:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:32:49 ID:???0 [sage ]
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最悪の事態も覚悟していた司馬昭でしたが、さすがにこの結末に対する衝撃は大きいものがありました。叔父の司馬孚が直ちに
哭泣して(皇帝と司馬氏の間に深刻な対立があったわけではないと)アピールしたこと、皇太后が曹髦を悪逆であったと罵った
ことで、ひとまず落ち着きを取り戻したのですが、何かすっきりしないものが残ったのも、また事実です。
省21
423:左平(仮名)@投稿 ★2013/04/04(木) 03:38:50 ID:???0 [sage ]
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さて、次の皇帝を擁立する必要が生じたわけですが…。もう、我の強い人物はこりごりです。結局、おとなしいとみられた曹奐
(燕王・曹宇の子)が選ばれました。
一方、蜀漢の方は、というと…。姜維は、さして成果の上がらない出兵を繰り返していました。姜維の相手はケ艾ですが、彼は
省24
424:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:17:31 ID:???0 [sage ]
三国志(2013年04月)
今回のタイトルは「劉禅」。ついに、三国の一角が潰えるときがきました。
鍾会を総司令官とする蜀漢への侵攻作戦については、前線にいる姜維は薄々感付いていました。しかし、蜀漢の中央には厭戦
省21
425:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:20:12 ID:???0 [sage ]
続き。
鍾会率いる主力軍が姜維に足止めを食らっているのをみたケ艾は、自身に割り当てられた侵攻ルートを変更し、一気に蜀漢の
要所に攻め入ることを思いつきました。
もちろん独断ではなく、洛陽にいる司馬昭の許しは得たのですが、たとえ自身に無断ではなかったとしても、鍾会には面白く
ないことです。成功すれば、ケ艾に大功を立てさせる(自身はその補助に過ぎなくなってしまう)のですから、無理もないの
省18
426:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:23:05 ID:???0 [sage ]
続き。
諸葛瞻は諸葛亮の子で、幼少の頃より、父の偉大さを聞かされて育ってきた人物です。彼への期待は大きかったのですが、
器量については父には及びませんでした(黄皓の専横を止められなかった、等)。
とはいえ、国への忠義は父の名に恥じません。その決死の戦いぶりは、明らかに劣勢であるにもかかわらず、一度はケ艾の
軍勢を退かせたのです。
省18
427:左平(仮名)@投稿 ★2013/05/08(水) 00:25:06 ID:???0 [sage ]
続き。
譙周という人の評価は難しいところです。学者としては優秀です(三国志の著者・陳寿の師でもある)し、この時の意見も
正論です。しかし…国家への忠誠、という点では、どうも引っかかります。
とはいえ、彼の意見は、(この状況下では)十分過ぎるほど理に叶ったものでした。前線の状況が分からない以上、ケ艾と
省25
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