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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
59:左平(仮名) 2002/12/16(月) 22:06 実は、今月の文春には、宮城谷氏と白川静氏との対談も収録されています。お二方とも、大変な勉強家です。こんな事が、実にさらりと書かれています。 @宮城谷氏と白川氏が初めて会った時、宮城谷氏は、膨大なノ−トを見せ、白川氏を驚かせたそうです。そのノ−トには、白川氏の研究が細かく記されていました。…ところが、この時見せたノ−トというのは、実は一部。全部積み上げると、腰ほどの高さになるとか。 A以前の宮城谷氏は、結構テレビをよく見ていたそうです。しかし、白川氏の著作に出会うと、「三年、庭も見ず」というほどに読書されたそうです。座って読むのが長かった為、くるぶしに水(?)が溜まったとか。 B1960年代、大学紛争が各地でありました(東大・安田講堂の攻防などが有名です)。白川氏の在籍する立命館も例外ではありませんでした。当然、研究どころではないのですが…。そんな中、S教授の研究室は、いつも夜遅くまで明かりがついていたとか。こんな状況においても、研究を続けていたのです。S教授が誰であるかは、言うまでもありません。 この対談は、三国志とは直接の関係はありません。でも、連載中であるだけに、話の中でちょこちょこと三国志について触れられています。
60:★ぐっこ 2002/12/17(火) 01:04 [sage] うーむ…。 さすがというべきか…たとえば自分を省みて、そこまで何かに集中したことが あるか自問しても、まず思いつきませんねえ… 宮城谷先生本人も仰ってましたが、作家や研究者たる者、やはり超人的な偏執僻 あるいは執念、といったものが必要なんだなあと。 文才も大事ですが、それよりも大事なことが、最後までやり遂げること、だそうで。 その対談も面白そう…
61:左平(仮名) 2003/01/11(土) 01:02 ◆第二次党錮の禁 逆境の名士達 今回の宮城谷三国志◆ 前回から続き、竇武・陳蕃対宦官の対決から始まります。 人望厚い二人であるだけに、偽の詔書によって賊扱いされても、容易には屈しません。しかし、腐っても鯛、偽でも詔書は詔書。兵力差は広がり、ついに力尽きます。 張奐、よりによって竇武に引導を渡す役回りになるとは…。これで、名声も地に落ちてしまいました。出世はしても、これでは甲斐なしです。 二人を血祭りにあげたのみではまだ足りないか、宦官達による弾圧は続き、ついに、第二次党錮の禁、あるいは、宮城谷氏いわく「建寧の大獄」が始まってしまいます。 前回は助かった李膺・范滂達も、次々と獄死します。范滂と子との別れは、切ないものがあります。 こんな時代にあっても、清くあろうとする人々はいます。郭太【または泰】(字は林宗)がそうです。 彼の墓碑銘を書いたのは、あの蔡ヨウ【巛+邑】。劉備の師匠・盧植も登場します。 そして、いよいよ若き曹操について語られ始めます。
62:左平(仮名) 2003/01/11(土) 01:19 今日は、ちょっと残業してました。帰ってから食事をとって風呂に入ってたら…「りゅうぜんず」さんの方が、先に紹介なさってました。
63:★ぐっこ 2003/01/13(月) 12:01 とうとう二次党錮がはじまりましたかー! …って連載始まってどれほどの時間が経過したのか(^_^;) いまだに三国志の カケラもない…。 「先代の英雄」たちがあらかた舞台を去って、ようやく曹操達にスポットライトが 回ってくる様子。楽しみ〜。
64:左平(仮名) 2003/02/10(月) 22:42 ◆若き曹操(たち) 今回の宮城谷三国志◆ 今回、だいぶ三国志らしい感じになってます。曹操、孫堅、劉備の三英傑は言うに及ばず、袁氏、盧植、公孫サン【王+贊】、さらには司馬懿の名も。といっても、物語はまだ黄巾の乱以前ですが。 少年・曹操は、橋玄に認められます。その上で、許子将に評されて、世に名を知られるわけです。このあたりは有名ですが…。 さすがは宮城谷氏です。意外な盲点を指摘されています。 1,橋玄は、高句麗を討伐したとあるが、『三国史記』(朝鮮三国【高句麗、百済、新羅】時代を記した書物)には記載がない。 2,許子将と曹操の年齢差は小さい。(橋玄と知り合った当時)十代の曹操を評した時、許子将は二十代前半ではなかったか。 そういえば!です。しかし、『三国史記』にまで目を通されているとは…。 その頃、孫堅は自らの勇気と機知により出世の糸口をつかみ、劉備は一族の支援を受けて盧植門下に入ります。遊び歩いた劉備に「哀しさ」をみたというのも、初めてではないでしょうか。 …このあたり、『蒼天』とは明らかに異なる物語になりそうです。 一方、中央はといえば、相変わらず。批判勢力に手を焼いた宦官達は、ついに猛将・段ケイ【ヒ+火+頁】を使い、弾圧にかかります。彼については特に言及していないあたり、個人的には少し気になります。 そして、宋皇后失脚に連座する形で謹慎する曹操に、一つの出会いが!
65:★ぐっこ 2003/02/13(木) 01:37 むう、ようやく三国志(;^_^A やや…今日はちょっと眠いので寝ますが…許劭と曹操の年齢差なんか 考えたこと無かった! んー…でも、曹操が少年時代の頃から月旦じみた ことやってるはずだし…案外、当時のアウトローだったのかな? 橋玄も含めて、調査せねば… あと、劉備も登場か…。宮城谷作品だと、どう描かれるのだろうか…楽しみ。
66:左平(仮名) 2003/03/11(火) 00:00 ◆怪異・妖異、失脚・失脚、蒼天・黄天 今回の宮城谷三国志◆ 今回は、郷里にこもった曹操のつぶやきから始まります。 宮中付近で次々と起こる怪異現象。それは、五行相勝説から見ても五行相生説から見ても、ともに漢の終焉を予感させるにふさわしい代物。蔡ヨウ【巛+邑】の決死の諌言も、愚昧な霊帝の、認識の甘さの前には、効果なしです(密封された上書を読んでるのを宦官に後ろから見られてるってのは…密封した意味がない!) 蔡ヨウ【巛+邑】の亡命生活が十二年にも及んだって事は…彼が中央に復帰したのは、董卓が権力を掌握してからという事ですか。と、なると、董卓の考えはどこにあったか、というのも気になりますが…まぁ、それはまた後の話。 宦官達は、専横の限りを尽くしますが、その一方で、内部抗争みたいな状況もあります。王甫が失脚し(段ケイ【ヒ+火+頁】も巻き添え)、彼を失脚させた陽球も失脚し、悪の巨魁・曹節は天寿を全うする…まるで救いがありません。 そんな中、孔明や孫権が誕生しています(今回は、それ以上の言及はなし)。 宦官にとりいって権力の座に近付く何氏。皇子の誕生という慶事の陰に毒々しい嫉妬。 そして、ついに、あの教祖が登場します! 今回の最後は、光和六(183)年。翌年は… 連載開始から二年。ついに、三国志の原点となる、あの事件が!!
67:★ぐっこ 2003/03/13(木) 23:10 ああもう!はやく文庫本にならないのか!(←ハードカバーは?) 連載始まって二年ちかくなりますが、やっとこさ三国志演義のスタート 地点に…。 楊震にはじまった物語は、さて誰で終結するのやら… 宮城谷氏は存外キャラの最後をサクッと端折ることが多いので、どの人物 が「アンカー」を受け持つにしても、歴史の中の1ページとして流されるのかな…
68:左平(仮名) 2003/04/10(木) 23:42 ◆黄巾の乱 途中経過? 今回の宮城谷三国志◆ 今回、遂に黄巾の乱が勃発します。このあたりの経過は、比較的淡々と書かれています。ただ、最初に「潁川郡は賢者を生む」みたいな事も書かれているのは、後につながるのではないでしょうか。 それはそうと、ちょっと驚く事が。 黄巾の乱の鎮定には劉備も加わっていた様で、曹操や孫堅ほどの目立った活躍はしていないのはまぁ承知しております。しかし、「劉備が関羽・張飛を左右に従える様になったのは黄巾の賊の蜂起から四年ほど後とみるのが無難である」とは!!上記の文章は、立ち読みの流し読みであるだけに多少の誤記はあるにしても、初耳です。宮城谷氏の事ですから、しかるべき資料があるのでしょうが…一体何にそういう記事が…。 最後は、罷免された盧植の後任として戦地に向かう董卓が。盧植を罷免した霊帝を「ばかな皇帝」と蔑む男の腹の内は…。
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