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名士と君主権力
7:2002/10/27(日) 01:14AAS
JN[近畿] > (2001/06/02(Sat) 19:37:24)
後継者争いでも君主権力を強化しようとする影が見えますね〜曹ヒと曹植、名士層の儒教基準は長男が家督を継ぐとある、儒教価値を持つ名士には支持される、支持したのはえんせいグループの陳グン、一方の曹植は父に勝る文学的才能をもっており名士層に対抗できるという点があったが、赤壁の敗退で蜀・孫呉が力をつけたため名士を断ち切って君主政権を確立できなくなった為、結局曹ヒが後継者に指名される、曹ヒは自分を支持してくれた、名士に借りを作ることになった。陳グンの九品中正制度の表れです、この制度のせいで司馬が専権し晋を建国することになった。益州の劉エンは東州兵が軍事基盤になっており彼は罪のない豪族を殺すなど支配力を見せはじめるが豪族も黙っている訳にはいかない。か龍を中心に反乱を起こすが東州兵の奮戦に鎮圧される、そして跡をついだ劉ショウは暗愚であった為再び東州兵と豪族が対立し始める劉備が益州侵入
は益州豪族張松と名士法正によって行われていく
省7
8:2002/10/27(日) 21:03AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] 投稿日:2001年06月02日 (土) 21時41分53秒
曹魏政権における名士層、というのは他の勢力ではちょっと見られない特異な存在かもしれませんね〜。もう魏末から晋にかけては世襲貴族のようなものでしたし…。
曹操が儒教の見えざる呪縛を引きちぎるために「文学」を選び、自らがその旗手として旧秩序を破壊していったという論、私は卓見だと思います! 後継者選びの基準に文才を据えた事についてはなお議論を待ちますが、「贅閹の遺醜」たる曹氏にとって、清流派名士ほど有用で迷惑な存在はなかったでしょうね。
潁川グループは、晋に移った後、一流半の貴族として代々の政権に根を張り生息している様子。このへんは、『六朝貴族社会の研究(岩波書店)』が詳しいです。
省13
9:2002/10/27(日) 21:03AAS
japan[関東] > (2001/06/03(Sun) 00:18:06)
>もう魏末から晋にかけては世襲貴族のようなものでしたし…。
大変残念ながら、これは「九品官人法」が原因でしょう。
省14
10:2002/10/27(日) 21:03AAS
JN[近畿] > (2001/06/03(Sun) 01:42:50)
>大変残念ながら、これは「九品官人法」が原因でしょう。
(1)起家の時点でその後の出世コースがほぼ決定してしまうため、いくら実績を積もうが(或いはさぼりまくろうが)昇進には何の影響も無い。
(2)起家官=郷品は「郷里の評判によって決定される」という建前だが、実際には父祖の官位に応じて決まる。よって、高官の子は自動的に高位に就く事が保証されている
省9
11:2002/10/27(日) 21:04AAS
孫ぽこ(何か委員会営業部長)[関東] > (2001/06/03(Sun) 14:35:20)
なるへそー〆(..)メモメモ。
そう考えると聖徳太子って先見の明ありますね。もし数値化するとしたら,政治力97,知力96,魅力96くらい??
省8
12:2002/10/27(日) 21:04AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/06/04(Mon) 00:26:41)
あうあう〜!確かに何ギョウが可哀想ですよ〜っ! 陳羣〜ッ!!
…まあ、うまいこと法を拡大解釈していって名士層の保存を目論んだ司馬懿のせいでしょうけどね〜。
それにしても、意外なのは聖徳太子(^_^;)! 伊達に摂政をやってる訳じゃあないんですね〜。確かに部長の仰るくらいの数値化も。掲示板違いますけど(^^ゞ
13:2002/10/27(日) 21:04AAS
松竹梅[関東] > (2001/06/04(Mon) 00:48:58)
>そして司馬イは陳羣が作った九品官人法を改正したのが州大中正の制でしったっけ??うろ覚えです^^;これで確か名士は権力を大きく持つようになるんですよね
その司馬懿の改正案と真っ向から対立したのが夏侯玄ですね。彼は役人の任命権を尚書台(←皇帝の秘書みたいな人たち)に集めることにより皇帝権力の拡大を目指し曹氏など皇室一門の権力拡大に努めたのです。それゆえ司馬一門と夏侯玄は対立するのですが(参考資料 渡邉義浩著『図解雑学三国志』)
省10
14:2002/10/27(日) 21:04AAS
JN[近畿] > (2001/06/04(Mon) 15:58:00)
おっ!?さすが松竹梅様ワシの参考資料は渡邉義浩著『図解雑学三国志』ですよ〜〜♪あれを一日何回読み返したか銭のない私は高い本買うお金がないのですよ、おかげで流れはわかったようなわからんような・・・。
>その司馬懿の改正案と真っ向から対立したのが夏侯玄ですね。彼は役人の任命権を尚書台(←皇帝の秘書みたいな人たち)に集めることにより皇帝権力の拡大を目指し曹氏など皇室一門の権力拡大に努めたのです。それゆえ司馬一門と夏侯玄は対立するのですが
省11
15:2002/10/27(日) 21:05AAS
japan[関東] > (2001/06/05(Tue) 20:53:48)
>南朝時代には中書令などの身分は高いが仕事はあまりないような職を「清官」といって好み、
>その下で実際に働く中書舎人などを「濁官」といって嫌ったそうです。
省22
16:2002/10/27(日) 21:05AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/06/07(Thu) 00:34:58)
>ワシの参考資料は渡邉義浩著『図解雑学三国志』ですよ〜〜♪あれを一日何回読み返したか
これが見つからない〜! ちょっと職権乱用して、神戸市全図書館の所蔵検索をやってみたのですが、ヒットしない〜! 神戸市にはない〜!!
省7
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