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名士と君主権力
25:もす 2003/03/13(木) 07:11 宮崎市定氏などは、貴族制を含めて「中国での中世は漢代から」を推していらっしゃいましたね。
26:★ぐっこ 2003/03/13(木) 23:30 あ、ちょうどよかった。確認したいことがあったので話がかぶってます。 ええと、後漢王朝自体が諸豪族連合のような立ち上がり方をしたというのは よく聞くのですが、彼ら世襲の土着勢力である「豪族」と、渡邊氏が仰る 「名士」ってのは、いわゆる「貴族」とどう違うのかなあ、と。 … 私の勝手なイメージでは、いわゆる清流系官僚あたりが、まあ文字通りの 「名士」となって国家権力を超越したような名声を博し、王朝支配者が何者 であれ没落することがない、政治のバケモノのような血族を形成していった、 という政治ドラマ向けの感想を持っていたのですが。 このへん、詳しい関係などきぼん…
27:白崎ゆきと 2003/03/24(月) 00:00 どうもご無沙汰してます。 こういうのって、ホント難しいですよねぇ。 自分も分かるようになりたいと思ってますが、よく分からないです。 > 後漢王朝自体が諸豪族連合のような立ち上がり方をした これはよく言われる説ですけど、実際はそうでなかったようです。 http://www2.justnet.ne.jp/~kays/g-.htm (すでにご覧になられたかもしれませんが……) > 世襲の土着勢力である「豪族」 後漢が興った頃の豪族というのは、一地方に割拠しちゃうようなごくごく一部の超大物から、 大半を占める小物まで、いろいろなのがいたようなのです。 それらは「地方に土着し、勢力をもつ一族(広辞苑)」という意味では一緒なんですが、 豪族としてのあり様はてんでバラバラ。 また、豪族同士の結びつきも地元周辺にとどまっていたんじゃないでしょうか。 それら豪族のなかで、後漢の中央官僚になって勢力をのばしていった者たちが現れ、 のちには一部の豪族によって中央官僚コースが独占されるようになります。 彼らは儒家的な共通する教養をそなえ、地域を(ある程度は)超えて結託していきました。 これがのちに清流派と自称したりする連中の出所で、 その地元においてはローカルな豪族たちの上位にたち、その地に強い影響力をもってたらしいのです。 そのために、後漢半ばからはコイツらの動向が重要になってくると。 (参考:東晋次『後漢時代の政治と社会』) > 渡邊氏が仰る「名士」 渡邊先生の論文を拝見したことがないのでなんとも……。 図解雑学はもってますけど、アレだけではどういうものなのかよく分かりませんから。 なんとか論文を入手したいとは思っているんですけどねぇ。
28:★ぐっこ 2003/03/26(水) 23:49 やや、白崎ゆきと様、お久しぶりです! イエこちらこそご無沙汰を… 後漢初期はまだまだマイナーなだけに、文献ひとつ読むだけで凄い新鮮な 驚きの連続であったりしますねえ…。 確か、私が後漢=豪族連合体政権と最初に聞いたのが、学生じぶんに読んだ 学研のアレだったかと。その後、後漢とタイトルのある本を片っ端から借りて コピーしてました(^_^;) そうですね、私も確か「後漢王朝の政治と社会」だったと思いますが(歴代高級 官僚一覧表があるのって、これでした?)、「三国志」の母胎となった社会構造 の成り立ちのカラクリを知ってわくわくした記憶があります! 確かに地方に盤踞するほどの大豪族がゴロゴロいるというカンジではなく、中央 入りした豪族(というより一族を率いるほどの有産の士)の子弟が、地元と官界 の連絡を密に、政治世界を「分割私物化」した時代、という解説であったと記憶 してます。 そのうえで、先にも紹介のありましたひろたかなん様のサイトを拝見すると、確かに ビックリ。というか、目からウロコです。熱烈な光武帝フリークでいらっしゃるよう ですので、多少の差し引きはいるかもしれませんが、とにかく後漢=豪族連合説は、 少なくとも草創の時期においては体を成さないようで…。 >名士 読み返すたびに謎が深まる用語ではあります(^_^;) というより、いまだに「士」の定義が自分の中で解決できません。 「士」と「民」の違いとは…? まさか本当に「儒学の教養の有無」 ではないでしょうし…。
29:age 2011/10/26(水) 07:45:41 ID:PmtJjtiT0 [pipi@yahoo.co.jp] たしかに萌えだなヾ(*′∀`*)ノ→ hemn.me/flash/media?098
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