南蛮王呂布の痛快活劇スレ
52:2002/10/28(月) 00:06

玉川雄一[関東] 投稿日:2001年08月27日 (月) 11時51分17秒 

■今回は「ネタ」です■

「張高孟公孫馬伝 第七」より
 [公孫楼伝]
 公孫楼は字を澄舞(笑)といい、北平の太守公孫サンの娘である。公孫楼が幼い頃、袁紹の攻撃で父を初めとする家族を失った。後に戦乱を避けて益州に移住し、長じてからは劉璋に使えることとなった。公孫楼は口数が少なく、他人とは必要最小限の言葉を交わすだけであっが、しかしそれ故に[かえって]一言一言には万金の重みがあった[1]。

[1]『公孫楼別伝』にいう。公孫楼は幼い頃は明朗闊達、誰とでも心を開いて語り合う気性の持ち主であったが、袁紹によって家族を失ってから、無口な性格となった。
 臣裴松之は考える。いったい、人の性格がこれほどまで極端に変わってしまうことがあるだろうか。『公孫楼別伝』には、このようににわかには信じがたい記述がしばしば見られる。
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