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南蛮王呂布の痛快活劇スレ
504:左平(仮名) 2005/01/12(水) 00:56 (短編:ある史官の告白) 「それは、建安十七年三月のことであった−」 老史官・平は、訥々とその時の事を語り始めた。 「当時、先帝(呂布)は、袁氏(袁譚)・曹氏(曹操)を征伐すべく、兵を進めておられた」 「世にいう、大親征ですね」 「そうじゃ。そして、当時益州刺史の任にあった張厳侯が亡くなられたのは、その少し前の一月のこと」 「となると…先帝が謚号をお決めになられたのは帷幄の内ですか…」 「さよう。わしは、その時左史の位にあった。それゆえ、先帝の諮問にあずかったのだよ。あの時の事は、決して忘れられぬ」 「平よ。それで、孟卓の謚は決まったのか?」 「はい。『恭』がよろしいかと存じます」 「『恭』?」 「はい。孟卓様の事跡を鑑みれば、『恭』がよろしいかと」 「どういう意味があるのだ?」 「はい。『逸周書謚法解』に曰く、『敬事供上曰恭(尊上を敬うことを恭という)』『尊賢貴義曰恭(賢人を尊び、義士を貴ぶことを恭という)』『尊賢敬譲曰恭(徳がある人を敬い、功のある人を譲ることを恭という)』『安民長悌曰恭(民を兄弟の様に愛することを恭という)』とあります。孟卓様はそのご生涯において、陛下(献帝)を敬い、王(呂布)という賢人を尊び敬い、益州刺史として民を愛し教化にこれ努めておられました。ゆえに『恭』がふさわしいと申し上げるのです」 「そうか。…なぁ、『厳』というのはどうなんだ?」 「『厳』ですか?それは『謚法解』にはありませんが…いかがなされたのですか?」 「うむ。俺はな。孟卓とは『義は君臣と言えども、情においては兄弟の如し』という仲であった。ゆえに俺は、君臣としてではなく、兄弟として孟卓の謚を考えてやりたいのだ」 「それは分かります。しかし、なにゆえ『厳』なのですか?」 「そなた、孟卓が海内の名士であった事は存じておろう」 「はい。何でも『八廚』の一人に数えられたとか」 「そうだ。そして、孟卓は『海内厳格』と評されていた。すなわち、『私財をなげうって人々を救い、海内をおごそかで慎み深いものにする』という事だ」 「はい。…なるほど、『厳』という字もまた、孟卓様の人となりをよく示しておられるというわけですな」 「俺は、孟卓を、我が配下の一人としてではなく、海内の名士として葬ってやりたいと思っておる」 「…分かりました。古式にはございませんが、孟卓様の謚は『厳』がふさわしいと。王はそうお考えなのですね」 「そうだ」 「かしこまりました。その様にいたします」 「あれからわしは、少なからず世の非難を浴びた。王に媚びて古式を歪曲したとな」 「そうですね。しかし、あなた様は、その他の事についてはかなり厳しい諌言もなさったとうかがっております。なにゆえ、この時に限って?」 「理由は二つある」 「二つ、ですか」 「そうだ。古式にないとはいえ、あの時の王のお気持ちは礼に適うものであった。ゆえに、あえて古式にない謚号を用いることに賛同した」 「それが一つですか。では、もう一つは?」 「なに、難しいことではない。…考えてもみよ。今より万年の後、いったい何人の帝王や諸侯に謚号をつけねばならぬかを」 「それは…」 「『謚法解』に収められているのは百字もない。それで対応できるか?謚に用いる字を増やさねば、いずれ謚号は、呆れ果てる程に長いものになってしまうであろう」 「う−む…有り得ないとは言えませんね…」 「わしは、それゆえ今までにない謚号を用いるのも良かろうと考えた。それに、旧来の秩序に拘泥なさらぬ先帝であれば、その事で非難にさらされる事もあるまいとな…」 「しかし、代わりにあなたが…」 「なに、わしはしがない一史官よ。太史公(司馬遷)には到底及ぶまい。しかしな。わしは、確かに歴史の舞台に立った。あの時、先帝に出会えた事でかような福に恵まれたのだ。それがなによりの幸せというものよ。まぁ、今日の話はこれまでじゃ。続きか?気が向いたら、な…。」
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