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天下二分の計って
4:2002/10/27(日) 21:37AAS
神機軍師[関東] > (2001/07/16(Mon) 21:46:05)
そうですね。当時の国力を推し量ってみると、南朝を成立させるよりも許昌を襲い献帝を奪取するほうが作戦的に優れていると思いますよ。ゲーム等では南朝の国力もかなり高めですが。三国志当時の国力では中原を制覇されては、南朝により北朝を破るだけの国力があったとは思えないので孫策の方針は正しかったのではないでしょうか。
そうそう、天下二分の計ですね。
周喩がこの策を知りつつなぜ孫策死後すぐにでも軍勢を動かさなかったのか不思議ですが、現実的にはなかなか難しかったのでしょう。劉表はその当時もかなり安定した政治を行っていましたし、呉にはもともの他国にあまり攻める意思がない(攻めれない)という構造的欠陥がありますしね。
その上で魯粛が天下の三分の計に乗り換えたのは、劉備軍団の傭兵的性格を見ぬいており、更にその集団の人的豊富さを悟っていたからではないでしょうか。つまり、二分にしても三分にしても北伐を行うには2つの軍団による同時進行が必要となるわけであるため、その片方を現実的に見た場合、呉にいる武将よりも劉備軍団に行わせるほうが確実性に高い(そのためには高い政治力が必要にはなるが)
また、天下統一が出来なくても呉の安定を考えるとこちらのほうが優れているとの判断に基づき劉備軍団にかたいれしたのではないでしょうか。
それにしても、陳登ですね。彼の強さは呉にとってかなり致命的なものでしたね。
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