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天下二分の計って
2:2002/10/27(日) 21:36AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/14(Sat) 22:11:23)
ちなみに私見を申さば、天下二分の計は時期によっては可能だったハズですね〜。
たとえば孫策。
官渡のおり、孫策は西進でなく北進策をとりました。一説には徐州閥の突き上げがあった為ともいいますが、もしこのとき楚へ侵攻していれば…? 黄河ブロックは袁・曹の睨み合いに任せ、孫策が「南朝」成立を目論んでいれば…。
少なくとも劉表の部下には陳登クラスの用兵家はおらず、広大な長江ブロックは比較的たやすく孫家の物になっていたかも…。
さらに周瑜のプランでは、自ら益州に侵攻して江州・成都を席巻し、益州を孫瑜に任せて自分は漢中へ出、涼州の韓遂、関中の馬超らと結ぶ――と。
私が三国志ゲーをするとき、かならずこの案通りに戦略を動かし、南北朝対決(たいがい袁譚が相手になります)を楽しんでます(;^_^A ゲームだと、先に中原に手を出すと中盤が盛り上がらないんですよねえ〜。
現実だとそうはいかないにしても、最強勢力と早いうちにぶつかるよりも、じっくり脇を固めてゆく戦略は有効だと思います。まあ、それができないから小覇王なんですが…。
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