天下二分の計って
3:2002/10/27(日) 21:37

香香[東海] > (2001/07/16(Mon) 10:03:15)

実は、この時期の孫呉(孫策横死前後)には全然興味が無いので分からないのですが、仮に荊州を抑えたとして、そこを保持するだけの名声と手腕のあった人物というのは、やっぱり二張になるんでしょうか???
少なくとも、劉表はつつがなく荊州を治めているのですから、それを侵して占領したあと、具体的に誰がどんな戦略を取るべきなのかどなたかご教示くださいませ〜(~_~;) 
4:2002/10/27(日) 21:37

神機軍師[関東] > (2001/07/16(Mon) 21:46:05)

そうですね。当時の国力を推し量ってみると、南朝を成立させるよりも許昌を襲い献帝を奪取するほうが作戦的に優れていると思いますよ。ゲーム等では南朝の国力もかなり高めですが。三国志当時の国力では中原を制覇されては、南朝により北朝を破るだけの国力があったとは思えないので孫策の方針は正しかったのではないでしょうか。
そうそう、天下二分の計ですね。
周喩がこの策を知りつつなぜ孫策死後すぐにでも軍勢を動かさなかったのか不思議ですが、現実的にはなかなか難しかったのでしょう。劉表はその当時もかなり安定した政治を行っていましたし、呉にはもともの他国にあまり攻める意思がない(攻めれない)という構造的欠陥がありますしね。
省9
5:2002/10/27(日) 21:37
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/16(Mon) 23:58:44)

 >香香様
赤壁のあと、あれだけ演義で悪役として幅きかせてた荊州豪族集団が、いつのまにか目立たなくなってますよねえ。この場合、曹操が彼らを中央に取り込んでしまったのでしょうか(劉備のほうへ付いてった連中もいるようですが)?

それができない孫氏の場合、地元豪族の支持を受けない限り荊州制圧も一朝のもの…。
省24
6:2002/10/27(日) 21:38

玉川雄一[関東] > (2001/07/19(Thu) 20:37:57)

私は理論系が苦手でして、また主題からは離れますが。

最近、光栄(当時)のゲーム事典を引っ張り出してきて読み返しているのですが、「三國志III」だか「IV」事典の「天下三分の計」か何かの項に、「この論の要点は、『いかに三分するか』ではなく『三分した天下をいかに統一するか』である」というのを見て、ああ、なるほどねと改めて感じました。
省10
7:2002/10/27(日) 21:38

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/20(Fri) 20:22:42)

おおッ!? なるほど、いわれてみれば三分した後が問題になりますよねえ〜。
基本的には、二つの勢力が一つの勢力を分け取りにして天下二分になり、最終的には全面対決に至る、というシナリオが予想されます。
絵空事の条約ではありますが、蜀のトウ芝と孫権が交わした天下二分案が、「天下三分の計」の結果ということになるでしょう。この後は、トウ芝が言ったように、天下の覇を賭けて両雄が激突する――と。
省8
8:age2011/10/26(水) 13:13:31 ID:PmtJjtiT0 [pipi@yahoo.co.jp]
たしかに萌えだな(*・ω・)☆ hemn.me/img/?d=3736041
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