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天下二分の計って
5: 2002/10/27(日) 21:37 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/16(Mon) 23:58:44) >香香様 赤壁のあと、あれだけ演義で悪役として幅きかせてた荊州豪族集団が、いつのまにか目立たなくなってますよねえ。この場合、曹操が彼らを中央に取り込んでしまったのでしょうか(劉備のほうへ付いてった連中もいるようですが)? それができない孫氏の場合、地元豪族の支持を受けない限り荊州制圧も一朝のもの…。 支配が堅固になれば、そのうち曹氏政権における李典みたいな従順な豪族も出てくるでしょうが、さて、孫家にそこまでの威徳があるかどうか。 蔡氏やカイ氏、ホウ氏といった大姓を黙らせるには、一にも二にも実利! この場合、政権上層に彼らを組み込み、しかも彼らの既得権益を寸毫も侵さないようにする必要が出てきます。 次に支配者としての正当性。 劉表は勅任官、曹操は朝廷の丞相、劉備は、まあ傭兵隊長。しかし孫氏の場合…なんか侵略者としてしか見られないような〜。彼ら荊州豪族を説得するのには骨が折れるでしょうね…。おのずと、第一級の清流名士が求められてくるでしょう。 ネームバリューなら華キンか王朗か…って、もう去ってましたっけ。 まあ、孫策なら漢らしく全員処断!(;^_^A 周瑜あたりが策を練って、彼らを同士討ちさせたり(劉焉みたいに…) 基本的に、孫策は障害物を回避するのが苦手なんですよね… >神機軍師様 戦国の常として、支配者が頭を抱える第一の問題は流民です。後漢末、戦乱といえば常に黄河ブロックでわき起こり、長江ブロックは比較的安定していた様子。 中原にしても、洛陽は無人と化し、長安は廃墟同然、許も民屯が軌道に乗ったばかり。徐州は当の曹操が虐殺しまくったおかげで民が逃散し、エン州・豫州は呂布と劉備の乱で疲労し、冀州・幽州は黄巾と公孫VS袁の長い闘争で疲れ、青州は袁譚軍団に制圧されて間もないです。 官渡直前の状態に限定すれば、南中国の経済力(特に流民による人口)は、安定しているぶん北中国とタメを張れる状態だったと思います。 ただし、神機軍師様の仰るとおり、安定していると言うことは攻めにくいと言うこと。荊主劉表には大きな失政もなく、学問を大々的に保護し、清流派人士の収攬にも抜かりありませんでした。孫策としては、北上は避けられない選択肢だったのかもしれませんね〜。 それにしても、魯粛についての考察はお見事です、神機軍師様! 独力で天下を二分するチャンスを失った以上、魯粛としては、せめて鼎立のカタチをつくる機会が欲しかったのでしょうね〜。劉備のような機動旅団は、うってつけの存在だったわけで。 天下三分…誰が言い出しっぺかはわかりませんが(あ、孔明でしたっけ)、東呉の人士も二分か三分かで激論をかわしたことでしょう。 論としては、二分と三分、いずれが優れていると見るべきか……。
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