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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
15: 2002/10/27(日) 22:01 黒竜[関東] > (2001/07/27(Fri) 11:52:39) うらやましいです。兄弟全員「臣」がつくらしいですね。 確か共同で「反旗」を邦訳してたような… 日本でも坂上田村麻呂が霊帝の子孫を称してたらしいですよ。 信憑性はゼロみたいですけど…
16: 2002/10/27(日) 22:01 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/27(Fri) 21:59:35) え!? 坂上田村麻呂=霊帝の子孫!? この霊帝というのは、あの霊帝でしょうか!? となると海を隔てて、五百年もの歳月を経た末裔! 平安時代にも三国志って日本で知られてたんですかね〜。
17: 2002/10/27(日) 22:01 japan[関東] > (2001/07/27(Fri) 22:31:24) >陳羣ですね!玄奘の先祖! 玄奘三蔵の俗名は陳イといい、陳太丘(=陳寔)の子孫であるとされていたそうです。 許の陳一族は、陳紀−陳羣−陳泰のラインよりも 陳紀の弟である陳獅フ子孫のほうが繁栄しているので (陳獅フ曾孫・陳準は、晋代に太尉の位に就いています。) 玄奘=陳羣の直系というのはやや苦しいかもしれませんが… でも、もし、万が一、玄奘が陳泰の子孫だったとしたら 玄奘三蔵法師には陳羣と荀揩フ血が遠く流れている――ということになるんですよね。浪漫だなあ… (私の脳内では半分史実と化しています・笑) >日本でも坂上田村麻呂が霊帝の子孫を称してたらしいですよ。 >信憑性はゼロみたいですけど… 以前、何かのTV番組(「開運なんでも鑑定団」だったかな…)で丹波哲郎が霊帝の子孫、とか自称していた気がするのですが…ということは、彼は坂上田村麻呂の子孫でもあるのでしょうか。
18: 2002/10/27(日) 22:04 松竹梅[関東] > (2001/07/27(Fri) 23:33:48) 玄奘が陳羣の子孫かどうか、調べはついていないのですが… >陳紀−陳羣−陳泰のラインよりも陳紀の弟である陳獅フ子孫のほうが繁栄しているので というよりも、陳紀―陳羣―陳泰の一門が没落してしまったからこそ、陳イは仏門に入ることになったのではないでしょうか。中国では日本と違って、あまり身分の高い人が坊主になる話ってあまり聞きませんから。梁の武帝くらい?
19: 2002/10/27(日) 22:04 玉川雄一[関東] > (2001/07/28(Sat) 00:22:26) ところで、「霊帝の子孫」って名乗る価値があるんでしょうか? どうせならもっとまともな皇帝にすればいいような気もするのですが…
20: 2002/10/27(日) 22:04 黒竜[関東] > (2001/07/28(Sat) 01:04:39) 正確には田村麻呂の先祖の阿知使主が、「霊帝の曾孫の阿知王」 を称していたらしいです。 案外、本人はイヤだったかもしれませんよ。だって阿知王なんていないし… ちなみに玄奘の曾祖父は陳欽という人で北魏末期の上党太守だったらしいです。 陳覇先も陳寔を祖と称していますし(陳書に歴代の名前が載ってます、怪しいけど…) 現代でも潁川の陳氏を祖と称する人は何百万といるそうです。
21: 2002/10/27(日) 22:04 おばら[関東] > (2001/07/28(Sat) 01:42:04) ちは〜っす。おいらも参戦させてくだされ。 とか言いながら、三国志とは離れてしまうのですが、日本の飛鳥時代に広隆寺を建立した秦河勝(はたのかわかつ)という人物は、秦の始皇帝の子孫を名乗ってます。その後もこの家は長く続き、雅楽を伝える家として現在も残っています。そう!CDを次々と発売し、今を時めくあの東儀秀樹がその子孫なのです!! また秦氏の分家に、能俊(よしとし)という人物がいて鎌倉期に地頭として土佐国長岡郡曾我部に赴任しました。その直系の子孫に土佐の英雄・長曾我部元親がいるのです。秦の始皇帝の血は日本に残っていたのか〜・・・・・って、信憑性低すぎ^^; 偽三国迷のおばらでした。
22: 2002/10/27(日) 22:04 ふみ[四国] > (2001/07/28(Sat) 15:34:43) 『梁書』(巻50列伝44)に出てくる盧廣は、盧[言甚]の子孫らしいですよ。范陽(涿)の盧氏は、ちょくちょく正史で名前を見かけますね〜。
23: 2002/10/27(日) 22:09 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/29(Sun) 00:42:27) おお、さらなる盛り上がりを! >japan様 なんと!? 丹波哲朗ですと!? じゃあ高祖劉邦から始まった漢王朝の血統は、傍系・庶系を交えながら霊皇帝・劉宏を経、阿知王(誰?)、坂上田村麻呂を輩出し、20世紀日本で丹波哲朗を産み出したわけですか〜!!想像以上に壮大なスケールになっております(;^_^A あと、玄奘系。う〜ん、ヒトクチに陳寔の子孫といっても、幾流かには分岐してしまうんですね…。確か六兄弟でしたっけ(うろ覚え)…?でもやっぱり陳紀−陳羣−陳泰コースを激しく希望! そうか、荀揩フ血も引くわけですね、玄奘。 >松竹梅様 想像以上に盛り上がっています(^-^ さすがに清流貴族の血統は息が長いようですね。まあ、日本だって公家さんの血脈は千年続いてますが。 玄奘が出家したのは、生家がそれほどの貴門でなかった為なのか、単に信心深かったのか…。何にせよ、シルクロードを踏破するからには、相当に頑健な躯をしていたのでしょう。やはり陳泰の血胤希望! >玉川様 それです! 丹波哲朗にしても坂上田村麻呂にしても、なんでよりによって霊帝なんでしょうか? どうせ遡るなら光武帝にしてもいいだろうし、なんなら中山靖王の末裔(;^_^Aを名乗っても支障はないでしょうに!やっぱり知名度と「霊」の語感の故か!?
24: 2002/10/27(日) 22:09 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/29(Sun) 00:42:46) >黒竜様 やっぱり陳氏の末裔は山ほどいらっしゃいますか(;^_^A 確か現在の魯国は、孔子の子孫を名乗る方が五人に一人いらっしゃるとか。しかもみんなが持っている家系図がバラバラ(;^_^A でもあまり気にせずに主張し続けるあたり、中国人のスケールの巨きさが伺えます。 ところで霊帝の曾孫…ということは、献帝の孫、ということですか。いま手元に献帝紀が無いので調べよう無いんですが、彼の子孫はその後どうなってるんでしょう? 「阿知王」って、あからさまに日本名っぽいんですけど(;^_^A >おばら様 やや、史記の方面の参戦かたじけないです〜! こんどは始皇帝の末裔!? ――あ、渡来の秦(はた)氏って、始皇帝の「秦」を名乗っていたわけなんですか!? いま初めて気づきましたっ!! そして今は雅楽大家で(;^_^A いや、始皇帝直系かどうかはともかく、秦の遺民の末裔である可能性は結構高いですね!ふええ。 で、さらに秦氏は長曽我部氏の祖でもあるわけで。こりゃあ、意外な事実ばかり! 奥深すぎです! >ふみ様 おお、盧[言甚]の子孫も全滅していなかったのですね!? じゃあ盧植の血も途絶えず!意外に北方で幅きかしてたんですね、盧氏…。通史でざっと目を通すだけでも、かなり意外な人間関係というか人脈のあり方が見えてきて、三国志がよりいっそう面白くなります!!
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