下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
198: 2002/11/01(金) 21:59 ぐっこ 2001年12月28日金曜日 00時00分 「おさなくして清操あり…」までは分りますけどその後が…、俗を絶つ、のようなフィーリングで(;^_^A それにしても! まだ陸家が続きますか!? 一つ質問ですが、陸道隆の段階でだいたい何年くらいでしょう(;^_^A すくなくともこれだけの代に渡って人材を輩出し続けろとわ…!
199: 2002/11/01(金) 21:59 玉川雄一 2001年12月28日金曜日 01時06分 うに。 >陸道隆は元熙年間(419〜420年)に廷尉になった 420年とはズバリ、東晋最後の皇帝、司馬徳文が劉裕に禅譲して零陵王(すげェ封地ですな)となり、 晋王朝が滅亡した年です♪ ちなみに、翌年徳文さん殺されました(T_T) まさに大河! ああ、楊さん家の方がもっと凄かったんでしたっけ。
200: 2002/11/01(金) 21:59 左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 21時13分 六朝以降の陸氏(といっても、陸賈や陸遜とのつながりは特に書かれていないので、たぶん赤の他人でしょう)ですが、、漢字字典『新字源』の「陸」のところを見ると、何人か記載されていました。 1,陸羽(りくう) 茶道の開祖。「茶経」を著す。 字は、、書かれていません。 2,陸九淵(りくきゅうえん) 南宋の学者。 字は子静、号は象山。朱子のライバル的存在。 3,陸贄(りくし) 唐・徳宗期の政治家。 字は敬輿、諡は宣。 4,陸元朗(りくげんろう) 唐初の学者。 字は徳明。 5,陸游(りくゆう) 南宋の詩人。 字は務観、号は放翁。生涯で数万という詩を詠んだとか。 ほかに陸機・陸雲・陸賈は書かれていましたが、陸遜がない!です。 このうち、割とあやしいのは、陸贄でしょうか、、。 NOBさん、すみませんが、「新唐書宰相世系表」をチェックしていただけませんか。
201: 2002/11/01(金) 22:02 左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 21時35分 続いて、諸橋轍次氏の『中国古典名言事典』の人名索引から、、。 6,陸亀蒙(りくきもう) 唐末期(生没年の記載はないですが、 皮日休との親交があったという事から)の詩人。字は魯望、 号は江湖散人、天随子、甫里先生、バイ(さんずいに倍の右側)翁、 江上丈人。、、号が多い、、。 7,陸秀夫(りくしゅうふ) 南宋末期の人。文天祥・張世傑とともに 「三傑」といわれる。涯山の戦い(壇ノ浦の合戦を、さらに大規模 にした感じの戦い。この戦いで南宋は滅亡するが、史書には、戦いの後、 嵐に遭い、「舟覆る。世傑溺る。宋滅ぶ」と記載)の際、舟中で「大学」 を講じ、その後、入水した。
202: 2002/11/01(金) 22:02 左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 22時58分 こうしてみると、陸という氏は、林などと同様、南方系なのでしょうか。
203: 2002/11/01(金) 22:03 NOB 2001年12月29日土曜日 00時15分 左平さまに御指名いただいたので、僭越ながら書かせていただきます(^-^; 陸贄は見事にビンゴでありました!宰相世系表によると 陸瑁―英(長沙太守)―カン(衛伯玉の名前と同名/晉の中書侍郎)―(間に4代)―文盛(齊の散騎常侍)―宣猛(字は觀明/六朝梁の宣威將軍)―潯(六朝陳の吏部侍郎)―(間に8代)―齊望(祕書監)―[シ霸](吏部郎中)―陸贄(字は敬輿/徳宗期の宰相) となっています。他にも陸元朗が、 陸續―稠(荊州刺史)―粛(丹徒令)―(間に9代)―鎮之(梁の給事中)―(文字化けで1カラム分意味不明)―雍(陳の豫章王の諮議)―元朗(字は徳明/秦王府の學士) ということで、いずれも既出のご先祖様にたどり着くことができました(^-^) その他の3名については探した限りヒットしませんでした。と、こんなところです。字はコピー&ペーストなので、旧字体のままで失礼します。
204: 2002/11/01(金) 22:03 左平(仮名) 2001年12月29日土曜日 01時22分 唐代の二人が“あたり”でしたか。NOBさん、調べていただいてどうもありがとうございます。陸秀夫もそうだと、悲運の名将(名臣)・陸一族というイメ−ジがより強烈になりますが、、それはさすがに妄想ですね。 それはそうと、唐という時代は、やはり中国史上、重要な時代だという事があらためて確認できます。その衰亡を機に、貴族社会が崩壊していくわけですから(宋以降、“〇〇の子孫”という名乗りをあげる人は少ない様に見受けられます。『水滸伝』に出てくる、大刀・関勝【自称・関羽の子孫。もちろん、架空の人物】くらいでしょうか)。
205: 2002/11/01(金) 22:03 NOB 2001年12月29日土曜日 02時30分 >左平さま すみません、2番目の書き込み、全部調査していませんでした(汗) 陸亀蒙は以下のとおりでした。っていうことは、陸瑁の子孫ですね。 陸玩(字は士瑤/侍中・司空/贈太尉・興平康伯)―始(字は祖興/五兵尚書・侍中)―萬載(臨海太守・祕書監・侍中)―子真(字は同宗/宋の東陽太守)―惠徹(字は監/齊の司徒府左曹掾)―閑(字は遐業/揚州別駕)―完(字は楚卿/梁の琅邪太守)―丘公(字は子岳/黄門侍郎)―[王深](字は潔玉/陳の黄門侍郎)―玄之(字は又玄/豫章尉)―元方(武后の頃の宰相)―景倩(右臺監察御史)―溥(少府少監/平昌縣男)―康(澤州刺史)―正興―賓虞(字は韶卿/侍御史)―龜蒙(字は魯望) 唐よりも後の陸羽・陸九淵・陸游・陸秀夫については、 【陸羽】字は鴻漸。一名として疾、字は季疵ともいう。復州竟陵の人。 【陸游】越州山陰の人。 【陸秀夫】字は君実。楚州鹽城の人。 と言うこと以外は分かりませんでした。それぞれ正史に伝が立てられていたので、先祖が辿れたりすると面白かったのですが…(^-^;
206: 2002/11/01(金) 22:04 玉川雄一 2001年12月29日土曜日 02時34分 ひええ、本当に繋がっていらっしゃる… どうも、ポイントは晋書に載っていない(と思う…)陸英の子孫とゆうワケですね。 陸曄、陸玩の他にも兄弟がいたとは… そして、陸始の後がちゃんと続いていたとは! 何だかしやわせですわ。 …ということは、おばらさんの系図が更に伸びる?(笑)
207: 2002/11/01(金) 22:04 おばら 2001年12月29日土曜日 02時45分 『新唐書宰相世系表』読んでみたのですが、まだまだ陸家系図書き足せそうですねぇ。 褒−紆−駿−瑁−穎−濯−漢公−冽−元之−英−玩−始−萬載−子真−惠徹−閑−完−丘−[王深]−柬之−まだまだ続く・・・・・ って唐の玄宗期だああああ!!!
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