★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
237:★玉川雄一2003/10/18(土) 23:27AAS
む、やはりそうでありましたか。
一つ繋がりとして解釈するのが妥当なのでしょうね。
名無しの救世主様、情報提供ありがとうございました。

今度は、皇甫叔献の存在のウラを取らねばなりませぬな。
まずはまた世説新語ひっくり返さないといかんのか… 楽しいけどしんどいですな。
省7
238:japan2003/11/02(日) 23:34AAS
>玉川様
遅レスですが、文学第四の68の注に引用されている王隠の『晋書』ですね。
>皇甫叔献の存在のウラ

「祖父皇甫叔献はハ(さんずいに覇)陵令、父皇甫叔侯は孝廉に挙げられた」とありますが、
(1)父と子の諱に同じ文字が使われていることは99%ありえない
省21
239:★玉川雄一2003/11/03(月) 01:39AAS
japanさんフォロー感謝です。やはり、字なのでしょうね。

しかし、安定皇甫氏は「叔」の字がよほど好きなのでしょうか(^_^;)
晋書に立伝された皇甫重の字も「倫叔」だし…
皇甫重は西晋時代に、また皇甫真なる人物が前燕〜前秦に仕えて活躍したそうですね。
学三のトウ艾スレに書いてあります。
省8
240:japan2003/11/08(土) 12:46AAS
先祖・子孫というほど遠く離れてはいませんが、
西晋の名将・羊コの血統はなかなか凄いものがあります。

母方の祖父が後漢の大儒である蔡ヨウ、
おばは流転の女流詩人・蔡文姫。
義理の兄が司馬師で、義理の父は夏侯覇。
省25
241:japan2003/11/08(土) 13:09AAS
※おまけ:夏侯淵伝の疑問について

夏侯淵伝の裴注に引く『世後』に以下のような記述があります。

「夏侯荘は、晋の景陽皇后の姉の夫に当り、そのおかげで、
彼の一門は当時にあって、はぶりをきかせた」
省22
242:★ぐっこ2003/11/09(日) 01:49AAS
しっかり清流ネットワークのコアな位置にいる超エリート、羊コさん。
っていうか、改めてその血統を見ると、本当に凄い…(゚Д゚;)
権門にあまり関わって無さそうな蔡氏と縁続きというのがアクセントに
なってますが(^_^;) そういえば、党錮で捕まった名士の中に、泰山の羊氏
が一人いたと思いますが、羊コと同じ一族だったかも。

省8
243:japan2003/11/12(水) 23:57AAS
>そういえば、党錮で捕まった名士の中に、泰山の羊氏
>が一人いたと思いますが、羊コと同じ一族だったかも。

『党錮伝』を確認してきました。八顧の一人である羊陟ですね。
羊陟は泰(太)山梁父の出身、羊コは泰山南城の出身なので
直接的な血のつながりは無いかもしれません。
省12
244:★ぐっこ2003/11/30(日) 01:36AAS
激しく遅レスですが…
三国志事典15X-31Xさま→www32.tok2.com
の事典・羊陟の項で、蔡一族と数代にわたる交友があったことから、
南城羊氏との関連が触れられてます。
ざっと蔡邕傳を見てみると、確かに司徒・劉郃がらみの弾劾騒ぎがあった
おり、隅っこのほうに小さく
省10
245:MM22003/12/03(水) 10:50AAS
どうもお久しぶりです。

羊陟の一族と羊コの一族についてですが、誤訳しててわかりにくくなってました。
後漢書集解の蔡ヨウ伝に「欧陽尚書九族妻族二対門九族乃妻族也…」とありまして、
「『欧陽尚書』によると「九族妻族二」とあり、「対門九族」とはすなわち妻族のことである」
という意味ではないかと。
省9
246:MM22003/12/03(水) 11:00AAS
連続ですみません。

>蔡ヨウの一族と羊陟の一族は妻の一族を介して縁続きで、
妻の一族を介して…ということではなく、蔡氏と羊氏は互いに娘をやって姻戚同士だったという意味かもしれません。
1-AA