下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
27:2002/10/27(日) 22:10AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/29(Sun) 21:19:09)
なるほど、山陽公国というのは意外に長く続いたのですね。永嘉の乱、ということは呉王朝が滅亡してからさらに30年は保っていたわけで…。
それにしても、献帝の子孫で行方の明らかなのは嫡流だけ。ということは次男・三男の血統はまだ絶えずに丹波家を流れ続けているのか〜ッ!? 個人的には、是非そうあって欲しい(;^_^A
省7
28:2002/10/27(日) 22:10AAS
松竹梅[関東] > (2001/07/29(Sun) 23:28:42)
三国時代って平和ですよね…まだ東晋十六国南北朝時代(縮めて言えば六朝時代だってことに今気付いた)は滅亡した王朝の一族はほぼ根絶やしですからね。
こちらも田中芳樹氏の小説より引用「新しい天子さま(梁の武帝)はなんと寛大な御方じゃ。前王朝の皇族を五人しか処刑なさらなかったぞ」(『長江落日賦』)
29:2002/10/27(日) 22:11AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/31(Tue) 00:23:35)
五人しか…(;^_^A そういえば三国時代に、敵の皇族を次々殺した、なんて話は聞かないですね〜。例外と言えば劉禅の息子がドサマギに殺された(要領の悪い…)くらいですか。やっぱり平和というか、ゆったりしてますね〜。あまり将来の禍根になりそうなのが居なかったから、という事もあるでしょうが…。
30:2002/10/27(日) 22:15AAS
松竹梅[関東] > (2001/07/30(Mon) 00:15:16)
先祖キャラ、ちょっと調べてみました。
潁川荀氏…荀況(いわゆる荀子。荀揩ヘ十六世の子孫)
省11
31:2002/10/27(日) 22:16AAS
おばら[関東] > (2001/07/30(Mon) 02:23:13)
ほののの!趙佗が話題にのぼってますね!
うちのサイトで趙佗伝をやったのですが、レスがまったくなくて・・・。トホホでした。趙佗、個人的にはすきなんですが。マイナーすぎましたか・・・。
省13
32:2002/10/27(日) 22:16AAS
左平(仮名)[北海道] > (2001/07/30(Mon) 19:49:49)
趙雲の先祖(かも知れない?)の趙佗は常山真定の人、ですか。かつての趙国の辺りらしいですから、ひょっとしたらひょっとして、、。春秋の覇者、晋文公・重耳に仕えた名臣・趙衰の子孫なんて事もいえるかも知れないですね(ついでに言うと、そのまたご先祖は殷紂王に仕えた快足の持ち主・飛廉という事にもなります)。
33:2002/10/27(日) 22:16AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/31(Tue) 00:24:03)
>松竹梅様
またしても情報ありがとうございます〜! なるほど、潁川荀氏は伊達に清流筆頭を張ってるわけでは無いんですね! あの荀子の子孫でしたか〜。荀子といえば性悪説。荀揩ノせよ荀攸にせよ、おそらくは家学として脈々とその説を受け継いでいたでしょう〜。
人の本性は悪である故に、上を犯さず礼を尊ばねばならない……なんとなく荀揩フ宰相としての姿勢がわかってくるような気がします。
省15
34:2002/10/27(日) 22:16AAS
左平(仮名)[中国] > (2001/07/31(Tue) 20:27:22)
一つ訂正します。私の出身地は中国(地方)です。↑の投降で北海道となっているのは単なる入力ミスですので悪しからず。 ぐっこさん、飛廉と悪来の関係をご存知でしたか。飛廉は悪来の父です。飛廉ことエイ廉には三人の子があり、嫡男は革、次男が来(悪来)、三男が季勝といいます。趙氏は季勝の子孫にあたります。また、革の子、女防(じょぼうという男なのかぼうという娘なのかは私にはよく分かりません)の子孫が秦始皇帝になります。以上、宮城谷昌光氏の『王家の風日』より。
35:2002/10/27(日) 22:16AAS
竹梅[関東] > (2001/08/01(Wed) 00:00:48)
いうことは、左平(仮名)さんの説が正しいとすれば、
東儀秀樹と趙雲は同じく飛廉を先祖とする「遠い遠い親戚」
ということですね!!東儀秀樹のファンになる趙雲ファン激増か?
36:2002/10/27(日) 22:17AAS
japan[関東] > (2001/08/01(Wed) 22:28:15)
潁陰の荀氏が荀子の子孫、というのは出典は何処なのでしょう?
やはり後漢書ですか?
以前そういう記述を読んでから、ずっと探しているのですが…
省10
上前次1-新書写板AA設索