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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
54: 2002/10/27(日) 22:43 玉川雄一[関東] > (2001/08/19(Sun) 21:41:36) >陶侃の曾孫が詩人の陶淵明だとか。 そうらしいんです。ご指摘ありがとうございます。 以前本屋で陶淵明の本を見つけまして、冒頭の彼の系譜についての所だけ立ち読みしました(^_^) あまりはっきりとはしていないようですが。 ちなみに晋書には、巻九四、列伝第六四の項に「陶潜伝」があります。彼が陶淵明ですよね。そこによると 陶侃−陶茂−(不明)−陶潜(元亮、365-427) 確かに、陶侃の曾孫ですね。んが。 陶侃伝(巻六六、列伝第三六)を見てみますと… この巻には、最初に劉弘なる人物の伝があり、続いて陶侃、以下彼の子、甥の伝がズラリ。 陶侃(士行、257-332) 以下彼の子の陶洪、陶瞻(道真、?-328)、陶夏、陶キ(劉表の次男と同じ字)、陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱。 そして陶侃の兄の子の陶臻(彦遐)、陶興。 ……………あら、陶茂は? そう、思いっきり怪しいのです。 私が立ち読みした本にもこの点がツッコまれていました。やっぱり晋書がいけないんでしょうか。 はっ、そういえば陶侃の父の陶丹は呉の交州刺史だったとか。まさか、ここにまで呉国超時空領域の魔の手が!?
55: 2002/10/27(日) 22:43 黒竜[関東] > (2001/08/20(Mon) 00:25:47) そうなんですよね。 実は自分の手持ちの史料にもそう書かれているモノとそうでないモノがあります。 我が部屋から発見されたアジア歴史事典の一部の陶淵明の項目を見てみると… →陶潜 (しかも陶潜の項は持ってない…) 今週水曜日に神保町に行く予定なのでその手の本でも探しましょうか…
56: 2002/10/27(日) 22:44 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 00:27:44) うお! 黒竜様!キリ番イチハチマルマルマルおめでとうございます〜っ!!キリ番一ポイント!偏将軍閣下です! ところでまたもや子孫情報ありがとうございます! なんと、以前話題の交州刺史・陶侃のひ孫が、かの詩人・陶淵明! ううむ、案外武門の末裔に文化人がぽこっと出てくる場合があるのですね…。 それと、劉氏外姓の王・呉セイの子孫は、きちんと残っていたのですか〜!呉綱…というと諸葛誕の部下ですね〜。変れば変わるもの…。 >玉川雄一様 そして陶ファミリーにまたしても謎が!? 晋書がズバリ書き忘れているのか、帝の諱でも避けて改名したのか!?陶侃がうまれた年は、だいたい諸葛誕が叛逆した当時ですか〜。
57: 2002/10/27(日) 22:44 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 00:29:05) うわ、またオフラインの時間差が(;^_^A ↑ 神保町いいなあ…。
58: 2002/10/27(日) 22:44 おばら[関東] > (2001/08/20(Mon) 03:30:27) むははは!またまた登場のおばらです。 呉鋼の祖先はあの謎多き呉ゼイですか・・・。 呉ゼイ(クサかんむりに内)は秦の役人出身です。ハ陽湖のほとりのハ陽県県令でした。彼は百越と呼ばれた異民族を徳を持って従え、大いに慕われました。 その後、各地で反乱が起きだすと、呉ゼイは黥布と協力して反乱を起こしました。呉ゼイは獰猛な百越兵を率いて項羽とともに秦を滅ぼし、項羽から衡山王に任命されました。 呉ゼイの将軍の梅エは、劉邦と意気投合し、劉邦に付き従ったそうです。項羽が敗死したあと、呉ゼイは長沙王に任命されました。越の地の抑えとして長沙王におかれたのでしょう。 このとき列侯の身分になった百越の人は、貰侯・傅胡害、海陽侯・揺母餘、終陵侯・華毋害、シャ棗侯・革朱がいます。呉ゼイと共に戦ったおかげなのでしょうか。それとも越兵は非常に戦争に強かったのでしょうか。 また、呉ゼイの身内で列侯になった人もいます。義陵侯・呉郢、便侯・呉浅(ゼイの庶子)、[シ元]陵侯・呉陽がそうです。 漢書には、「呉ゼイの子孫は王位を失ったものの、傍流にその血は受け継がれ長く栄えた。」とありますから、呉ゼイの子孫はいっぱいいたかもしれませんね。呉鋼もその一人だったのかもしれません。
59: 2002/10/27(日) 22:44 おばら[関東] > (2001/08/20(Mon) 03:31:05) (↑の続きです)また、長沙国の相も列侯に封ぜられました。[車大]侯・利倉がそうです。 利倉の妻は近年、長沙馬王堆から発見されました。死体は今死んだ新鮮?なものと変わらず、皮膚には弾力があったそうです。 魏書で呉鋼が出てくるくだりに、「前漢長沙王呉ゼイの墓を暴いたところ、生けるがごとき死体が出てきた。その現場に立ち会った人が呉鋼に『あなたの顔は呉ゼイにそっくりだ』と言うと、呉鋼は『それは私のご先祖様ですよ。』」といったところがあります。 約2000年の深い眠りから醒めた利倉の夫人でさえ生けるがごとき死体だったのですから、利倉の主人の呉ゼイの死体もそれはそれは新鮮?だったでしょう。 しかし、呉ゼイの墓を暴いたら呉鋼そっくりの死体が出てきたなんて・・・この話、ホントなんでしょうかねぇ。 史記迷のおばらでした。
60: 2002/10/27(日) 22:44 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 23:38:16) おお、おばら様!呉セイの情報ありがとうございます! 呉綱は、呉セイの16世のようですね〜。それと、思い出しましたよ〜、その死体の話! 嘘なのか本当なのか…。まあ、始皇帝の兵馬俑だって、空気に触れるまでは極彩色に彩られていて、中には水銀の川が流れていたという話ですし…あんがい古代中国の建築技術も凄かったのかも。 呉セイ、なんとなく初期の経歴は趙陀と似ていますね〜。あ、先ほど趙雲の先祖スレをまとめてみました(;^_^A
61: 2002/10/27(日) 22:45 ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 20:10:56) はじめまして。三国志の武将の先祖ネタ面白いですね。 (趙雲の先祖の話など特に) 自分の知ってるのも幾つか紹介します。既出だったらすいません。 呂凱(呂不韋) 雍ガイ(雍歯) 管寧(管仲) 荀イク(荀子) 李膺(老子) 張遼(ジョウ壱)
62: 2002/10/27(日) 22:45 ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 20:14:06) 荀子は思いきり既出でしたね。すまんです。
63: 2002/10/27(日) 22:45 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/21(Tue) 21:45:09) ナナシサソ様(;^_^A 、はじめまして〜! いえ、情報大歓迎です〜! なるほどお、最初は読み飛ばしていましたが、あらためて正史を読み直すと、先祖の記述がびっしり書いてある武将もいるんですね〜! 特に呂凱には驚きました!…いえ、いま「奇貨おくべし」を読んでいたところなので…。不韋県とは、そのまんま呂不韋からとった地名なんですね。 となると、呂凱は始皇帝の遠縁!? そして東儀家や長曾我部とも血縁!?
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