★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
60:2002/10/27(日) 22:44AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 23:38:16)

おお、おばら様!呉セイの情報ありがとうございます!
呉綱は、呉セイの16世のようですね〜。それと、思い出しましたよ〜、その死体の話!
嘘なのか本当なのか…。まあ、始皇帝の兵馬俑だって、空気に触れるまでは極彩色に彩られていて、中には水銀の川が流れていたという話ですし…あんがい古代中国の建築技術も凄かったのかも。
省7
61:2002/10/27(日) 22:45AAS

ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 20:10:56)

はじめまして。三国志の武将の先祖ネタ面白いですね。
(趙雲の先祖の話など特に)
自分の知ってるのも幾つか紹介します。既出だったらすいません。
省13
62:2002/10/27(日) 22:45AAS

ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 20:14:06)

荀子は思いきり既出でしたね。すまんです。
63:2002/10/27(日) 22:45AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/21(Tue) 21:45:09)

ナナシサソ様(;^_^A 、はじめまして〜! いえ、情報大歓迎です〜!
なるほどお、最初は読み飛ばしていましたが、あらためて正史を読み直すと、先祖の記述がびっしり書いてある武将もいるんですね〜!
特に呂凱には驚きました!…いえ、いま「奇貨おくべし」を読んでいたところなので…。不韋県とは、そのまんま呂不韋からとった地名なんですね。
省7
64:2002/10/27(日) 22:46AAS

玉川雄一[関東] > (2001/08/21(Tue) 22:10:25)

子孫ネタです。閻圃の子孫が、唐代の画家、閻立本っちゅー人で、『歴代帝王図巻』を描いたそうです。
以上、『三國志IV事典』より。 
65:2002/10/27(日) 22:46AAS

ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 22:12:45)

はじめまして、ぐっこ様。関係ないですが自分、某所のあずまんが三国志にもよく投稿してます(^^;

あと陶淵明の母親の祖父は東晋の著名人孟嘉ですが、この孟嘉の祖父が実は呉の孟宗(筍の話の彼です)。以外な所で以外なところにつながってますよね、確かに。
66:2002/10/27(日) 22:46AAS

ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 22:18:04)

ありゃ、孫じゃなくて曾孫だった>孟嘉
すいません何度も(^^;
67:2002/10/27(日) 22:46AAS

左平(仮名)[中国] > (2001/08/22(Wed) 19:26:28)

だいぶ以前になりますが、松竹梅さんから、馬超のご先祖として、伏波将軍・馬援の名があがっていました。じつは、この馬援には、ちょっと名の知れた先祖(といっても直系のではなく、曽祖父の兄という事ですが)がいます。その人の名は馬何羅といい、なんと、漢の武帝の暗殺を企み、処刑された人物です。陳舜臣氏の『小説十八史略』に出ていました。なお、彼は『漢書』には莽何羅と書かれており、塚本ヨ史氏の『霍光』にもその名で登場しています。 
ひょっとしたら、、という程度の話ですが、こんな人はいかがでしょうか。、、孫堅が戦死した後、その遺体を請い受けた桓階という人がいます。この人は、長沙郡臨湘の出身との事ですが、桓氏というと、(桓階の子孫という証拠は何もないのですが)東晋王朝の実力者・桓温がいます。北伐を敢行し、王朝簒奪を目論んでいたといいますから、相当なものです。彼はよく、「男子たる者、百世に芳しきを流す事あたわざれば、まさに臭きを万年に遺すべきである!」と言っていたとか、、。結構、さまになる物語が出来そうです。 
68:2002/10/27(日) 22:47AAS

黒竜[関東] > (2001/08/22(Wed) 21:17:19)

馬何羅が漢書などで莽何羅となっているのは明帝の皇后である
馬氏(馬援の娘)が修史官にお願いして変えてもらったらしいです。
そして、馬何羅を投げ飛ばして暗殺を防いだのが金旋、金イの先祖の金日テイですよね。
省9
69:2002/10/27(日) 22:47AAS

ナナシサソ[東海] > (2001/08/22(Wed) 21:53:07)

桓栄は光武帝の時代の人みたいですね。後漢書に伝がありました。
ちらっと見ただけなのですが、どうやら高名な学者さんみたいですね・・・
1-AA