★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
89:2002/10/27(日) 23:29

左平(仮名)[中国] > (2001/08/26(Sun) 23:06:16)

秦氏関係で、もう一つ思い出しました。確か、桓武天皇の母は秦氏の女(むすめ)だったかと。日本史の百科事典でずっと昔に読んだ記憶があります(違ってたらごめんなさい)。ためしに古文の辞典で皇室の系譜を見ましたら、桓武天皇から今上天皇まで、ず〜っと辿る事ができるのです(南北朝などもありますが、それをも乗り越えて)。と、いうことは、、。書いてて、こんなに話が広がっていいものか、と思わず自問してしまいます。
90:2002/10/27(日) 23:30

松竹梅[関東] > (2001/08/27(Mon) 00:52:30)

法正の曽祖父は法雄といって、どうも田斉の襄王の子孫らしいです。ということは、法正には陳無于の血が流れてるのか…と思えばなんとなく納得かも。ということで、法正も先祖は帝舜ということになりました…でいいのかな?
91:2002/10/27(日) 23:30

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/27(Mon) 23:49:06)

こんどは天皇家〜!! 秦氏おそるべし〜! あ、いま趙雲様のご先祖のページを更新しました〜。それ以後に出てきた話題の人物を追加しております〜。

そして法正! こちらは斉の襄王!? …と、松竹梅様、その法雄という人物は三国志には記述されてないです〜。ソースは三国志集解ですか〜!? いいなあ…。
92:2002/10/27(日) 23:30

松竹梅[関東] > (2001/08/28(Tue) 07:53:18)

ソースは『後漢書』38巻法雄伝と、83巻「逸民列伝」ちゅうの法真伝です。
法正の祖父、法真は門下生数百人を抱える「関西の大儒」であり、寡欲にして官に仕えなかったという、法正の祖父だとは到底思えない人物です。ちなみにこの人「玄徳先生」と呼ばれていました。法正と劉備の意外な接点? 
93:2002/10/27(日) 23:31

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/29(Wed) 00:20:38)

うお!? またしても後漢書! あう〜、また県立図書館から借りなきゃ…ええと、38巻ですね〜。
それにしても、「三国志」になくて「後漢書」に伝のある有名人(関係者)、あるいは後漢書の方が詳細な人物って、どれくらいいるのでしょう…? 徐栄の末路なんか、三国志には載っててませんでしたよね〜。
94:2002/10/27(日) 23:31

玉川雄一[関東] > (2001/08/29(Wed) 01:15:25)

えと、羊[示古]のオジーさんの羊続の伝がありますね。巻三十一に。
チョイと前に、羊[示古]の父の羊ドウ(行がまえに首)の同名異人問題を調べていて、参考にしようとしたのですがあまり解決にはなりませんでした。
95:2002/10/27(日) 23:31

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/30(Thu) 22:26:34)

おお、羊[示古]のお祖父さんですと!? う〜む、後漢書は宝箱ですよね〜!
羊ドウですと…なるほど、他にも南陽出身の羊ドウさんがいらっしゃるのですね。しかしまた、羊[示古]の父親の名前って、どこに載って…って晋書ですよね〜。ああ、晋書も欲しい…。
96:2002/10/27(日) 23:57

玉川雄一[関東] 投稿日:2001年08月31日 (金) 21時06分27秒 

以前、陶侃の父、陶丹が呉の交州刺史だったと申し上げましたが、私の勘違いだったかもしれませぬ。
先程『解體晉書』さんのサイトで列伝の訳を拝見していましたら、「陶[王黄]伝」の初っぱなに、「陶[王黄]の父の陶基は呉の交州刺史となった」とあったのです。なんか、これと記憶がごっちゃになっているかもしれません。「陶侃伝」で確認できればいいのですが…

省9
97:2002/10/27(日) 23:57

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/31(Fri) 22:44:21)

ちょっと確認してみましょう〜!
まず陶丹というと陶淵明の遠い先祖で、

省30
98:2002/10/27(日) 23:57

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/31(Fri) 22:46:51)

どうも交州って、世襲というか独立勢力っぽいイメージがありますので、同族でないと牧や刺史職をまわしたりできないかも…。
加えて、また時間軸の問題が発生しそうですね〜 
1-AA