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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
144: 2002/10/30(水) 23:20 おばら 2001年11月09日金曜日 01時56分 ぐあ〜〜 「古老噺」、東京大学でも検索結果0件。Yahoo!でも0件。 ぬぬぬ・・・。 現代語訳が無いということですかね・・・。
145: 2002/10/30(水) 23:20 ぐっこ 2001年11月10日土曜日 01時01分 うが〜! なんだか頭の遙か上で高々度の情報がやり取りされてます(;^_^A もっと勉強しろよ>俺! おばらさま、お忙しいのに補足説明ありがとうございました〜!
146: 2002/10/30(水) 23:21 玉川雄一 2001年11月10日土曜日 08時51分 なるほど! かような資料があるのですか。ありがとうございます。 足立さんの存在は微妙な所ですか(^_^;) ちなみに、私の読んだ本では、盛親の子について以下のようにありました。 長男盛恒:伏見で捕らえられて斬首 次男盛高:土佐の山野に隠れるが、山内氏に殺される 三男盛信:同上 四男盛定:八幡(ってどこの?)で捕らえられ斬首 五男某:同上 また、盛親の異母弟、右近大夫は伏見で死を命ぜられたそうです。 そういえば、盛親の子供ってみんな「盛○」という名前ですね。 ちょっとセオリー?と違うような。
147: 2002/10/30(水) 23:21 ぐっこ 2001年11月11日日曜日 00時37分 ちょっと話はそれますが、今日の「聖徳太子」に秦氏登場!なんか日本史を影で操ってましたな(;^_^A あの家系図のおかげで、「あ、いまの秦氏って、東儀とか羽田元首相のご先祖やねんで!」と知ったかぶりが出来ました(;^_^A
148: 2002/10/30(水) 23:22 黒竜 來氏の続きですが… 先日、新唐書を読む機会があったんですが、表の宰相世系が凄すぎます。 唐の歴代宰相の家系図を並べているようなんですが… 袁氏の項目に袁煕、姜氏の項目に姜維、閻氏の項では閻甫の名前が… 探せばまだいるかもしれません。 凄いというか、凄いあやしいと言うべきか…
149: 2002/10/30(水) 23:22 ぐっこ 2001年11月10日土曜日 01時03分 唐代ですか〜! もうやりたい放題のようですね(;^_^A 何処の国でも家系図偽造は当たり前だったんですね…。 でも絶対嘘とは言い切れない人もいるでしょうし…。そもそも同姓同族の原則で言えば、嘘を付いているわけでも無し。 しかしうさんくさいなあ…(;^_^A
150: 2002/10/30(水) 23:22 玉川雄一 2001年11月10日土曜日 08時57分 ある意味そうそうたる?ラインナップでありますね。 閻氏は何やら続いていたそうですが… これらの系譜、マジならそれはそれでアレですが、 偽造(^_^)してまで繋げたとして、それだけの価値があるということなのでしょうか。 また、必ずしも直系でもないと考えていいのでしょうか? いわゆる「○○をもって(祭祀を)継がせる」ってヤツ。 しかし何故袁熙(^_^;)
151: 2002/10/30(水) 23:23 ぐっこ 2001年11月11日日曜日 00時37分 うわはは〜! なんだか大変なことになってますね〜唐代の家系図。 顧氏や鍾氏はまあいいとして、なぜに薛蘭…あえて子孫を名乗りたいとは思わない人物ですが…。 ところで! 崔州平と崔鈞って同一人物なんですか!? ちょっと年代がズレてるような…(いずれも崔烈の息子ではありますが…)
152: 2002/10/30(水) 23:23 黒竜 2001年11月11日日曜日 01時52分 崔州平、原文が 「烈、後漢太尉、城門校尉、生鈞、字州平、西河太守」となってます。 兄貴の名前が崔均なんであっさり信じたんですが… 疑う余地はありそうですね。 それと薛蘭ですが意外にも名家のようです。 薛蘭の父や祖父も国相や太守を務ています。てっきり呂布配下の并州人かと思ってましたが… 薛永は蜀郡太守、その子の薛斉は蜀・巴の太守を務めたらしいのですが蜀書には出てこないですね………(??) ちなみに一番あやしいのは関羽です。 関竜逢(商)…→関羽→関興(三国)…→関播(唐) アバウトすぎ
153: 2002/10/30(水) 23:24 左平(仮名) 2001年11月11日日曜日 10時57分 唐書についての知識は皆無なので入り様がないのですが、、関龍逢の名が出てきたので、ちょっと説明を。 関龍逢とは、商ではなく、夏王朝末期の人です。桀王の暴虐をたびたび諌めましたが、ついに殺されたという名臣です。ちなみに、彼は関氏ではなく、関龍氏だった様です。宮城谷昌光氏の『天空の舟』に、「、、夏の社の神体は、「交龍」である。、、そのおさめるところは河水(黄河)である。、、ここの最高責任者は関龍家であった。、、」という記述があります。 関羽以前で名の知れている関氏といいますと、、 ・春秋時代初期の鄭の大夫、関其思(戦略的には正しい事を発言したのだが、武公の意図を読み切れなかった為に処刑される。「韓非子」(説難篇)に登場。鄭というと、河南省のあたりでしたから、河西の人・関羽とのつながりは?です)。 ・老子がいずこともなく去っていく時、その思想を書き残してもらった、関所の役人。確か、関喜とかいった様です。もっとも、関所の役人だから「関(所の)喜」といっただけかも知れませんが。
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