★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
195:2002/11/01(金) 21:57AAS

左平(仮名) 2001年12月26日水曜日 21時19分

陸渾を討ったのは、文侯(重耳ではなく、仇の方)ですか。と、いう事は、紀元前8世紀後期(西周→春秋の境くらい)ですね。楚の荘王よりも先です。陸渾は、晋・楚の両方と戦った事があるというわけですね。なかなか精悍な氏族(?)です。
ただ、この頃から匈奴が存在していたかどうかが、、。「匈奴」という名(民族名か政権名かは不明)が史書に出てくるのは、戦国時代の頃からの様です。
蛇足…確か、匈奴は夏后氏の末裔、と『史記』に書かれていたかと。
省7
196:2002/11/01(金) 21:57AAS

ぐっこ     2001年12月26日水曜日 21時53分

 >おばら様
系譜、修正版ともども拝領しました〜っ! は、はやい…。しかも精巧な…。可及的速やかにアップできるよう頑張ります〜!!
いま趙家の系譜と並べてみてみましたけど、なんだか凄いですねえ…。神話の時代からスタートして、有名人を経由しつつもきちんと繋がってることに畏怖を覚えます! 新唐書色んな意味で恐るべし。
省16
197:2002/11/01(金) 21:58AAS

玉川雄一     2001年12月27日木曜日 21時17分

えー、では陸曄の弟の陸玩(士瑤、278-341)。彼の方が兄より記述が多めです(^_^)
まあ、かいつまんで言えば兄と似たような地位を歴任したようです。
奮武将軍の地位は病で辞したようですが、蘇峻の乱の鎮圧において兄と共に功を挙げ興平伯になったり。
省29
198:2002/11/01(金) 21:59AAS

ぐっこ     2001年12月28日金曜日 00時00分

「おさなくして清操あり…」までは分りますけどその後が…、俗を絶つ、のようなフィーリングで(;^_^A

それにしても! まだ陸家が続きますか!?
省8
199:2002/11/01(金) 21:59AAS

玉川雄一     2001年12月28日金曜日 01時06分

うに。

>陸道隆は元熙年間(419〜420年)に廷尉になった
省10
200:2002/11/01(金) 21:59AAS

左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 21時13分

六朝以降の陸氏(といっても、陸賈や陸遜とのつながりは特に書かれていないので、たぶん赤の他人でしょう)ですが、、漢字字典『新字源』の「陸」のところを見ると、何人か記載されていました。

1,陸羽(りくう) 茶道の開祖。「茶経」を著す。
省19
201:2002/11/01(金) 22:02AAS

左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 21時35分

続いて、諸橋轍次氏の『中国古典名言事典』の人名索引から、、。

6,陸亀蒙(りくきもう) 唐末期(生没年の記載はないですが、
省14
202:2002/11/01(金) 22:02AAS

左平(仮名) 2001年12月28日金曜日 22時58分

こうしてみると、陸という氏は、林などと同様、南方系なのでしょうか。
203:2002/11/01(金) 22:03AAS

NOB      2001年12月29日土曜日 00時15分

左平さまに御指名いただいたので、僭越ながら書かせていただきます(^-^;

陸贄は見事にビンゴでありました!宰相世系表によると
省16
204:2002/11/01(金) 22:03AAS

左平(仮名) 2001年12月29日土曜日 01時22分

唐代の二人が“あたり”でしたか。NOBさん、調べていただいてどうもありがとうございます。陸秀夫もそうだと、悲運の名将(名臣)・陸一族というイメ−ジがより強烈になりますが、、それはさすがに妄想ですね。
それはそうと、唐という時代は、やはり中国史上、重要な時代だという事があらためて確認できます。その衰亡を機に、貴族社会が崩壊していくわけですから(宋以降、“〇〇の子孫”という名乗りをあげる人は少ない様に見受けられます。『水滸伝』に出てくる、大刀・関勝【自称・関羽の子孫。もちろん、架空の人物】くらいでしょうか)。
1-AA