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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
222:. 2002/11/02(土) 12:11 おばら ☆突っ込みどころ曼才!『捜神記』盧氏☆ えーと、三國志ゲーで盛り上がってるところすまんのですが、 『捜神記』を読んでいたらですね、盧植の祖先が載っていたですよ。 盧充さんというらしいのですが、なんと二十歳のときに幽界に迷い込み、幽霊の娘(もちろん娘も幽霊)崔温休と結婚し、初夜で妊娠させております。 で、三日で嫁と別れ(むちゃくちゃですな)この世へ戻ってくるわけなんですが、四年後の三月三日、盧充が川で禊をしていると、突然幽霊嫁タンとの幽霊義父さんが乗っていた二台の牛車が現れて、金椀と三歳になる崔温休と盧充の子を渡して去って行きます。 盧家では皆気味悪がって、この子に唾を吐きかけます(幽霊は唾が苦手だと信じられていたらしぃ)。 しかし、崔温休タンの棺の中に入っていた金椀がもとで、崔家盧家ともにこの子どもを崔温休と盧充の子と認めます。 そしてこの子は成長すると太守を歴任し、子孫は代々高官となり、その子孫のなかの一人が盧植さんだということです。 盧充・・・・盧植−盧毓−● −盧藩 倔ク欽−盧浮 倔ク挺−盧皓 倔ク志−盧氏|●−●−盧循 幽界と現世を結んだ盧家。その子孫に妖術で南方を騒がせた人物がでるとは・・・。 まぁ、史料的には×な『捜神記』なので…どうなんでしょ?(^-^;; あ、そういえば盧氏ネタ、かなり前のレスであったような…
223:. 2002/11/02(土) 12:11 おばら 2002年02月10日日曜日 07時13分 系図少しずれちゃったよ…。(泣 ワードパッドなんかに貼り付ければちゃんと見える筈。でも系図自体が間違ってるかも。(爆 このスレは「盧綰と盧植って関係あるのかな?」というぐっこさまの書き込み(相当昔のことです^-^;;)に応じて、盧氏を調べているうちに見つけたものです。 中央研究院さんで晋書も漁ったんですが、イマイチ理解できず。 こりゃ買うしかないか?
224:a 2002/11/02(土) 12:13 玉川雄一 2002年02月10日日曜日 19時01分 >盧氏ネタ、かなり前のレスであったような… 発端は多分私です(^_^;) 味好漢の方で、盧遜(演義に出てきた蜀末期の武将)を間違えて「盧氏vと書いてしまい、そのついでで盧獅ノついてネタを振ったのが一連のご先祖ネタの始まりだったかと思います。 ちなみに、ちくま三国志の盧毓伝の裴註の盧獅ノついての部分ですけど。 『妖術を操る賊の大将盧循は盧獅フ曾孫である』とありますよね。 これが原文のニュアンス通りに訳してあるのかは判りませんが、この表現だとミョ〜にリアルに感じられません? それもそのはず、裴松之(372−451)にとって盧氏i?−411)はまさに同時代人、彼はリアルタイムでこの大叛乱を知っているはずなのです。何とも面白いものですね。
225:a 2002/11/02(土) 12:13 ぐっこ 2002年02月11日月曜日 02時02分 なんと、一族ネタの最初は盧氏でありましたか!? 意外な回帰…。 それはさておき、盧植のご先祖様に意外な人物が! おばらさま、あの節はどうもです…(;^_^A 幽霊の娘とワンナイトラブ…いいですな…じゃなくて! きちんと子供が産めるのですか!幽霊!幽霊のメリット無いじゃん! …じゃなくて! そういうエピソード持つ人間を先祖に頂き、後の晋代 でも人材を輩出する…と。ただ、盧植も劉備との絡みがなければ、これほど後生に名を残すことも無かったでしょう〜。歴史は、運だ! ところでこの妖将(苦笑)・盧循、どんな術を使ったんでしょうか…。
226: 2002/11/02(土) 15:44 もす えっと、がいしゅつだったらスイマセン…(^^ゞ 牛に続いて『顔』です。 すっげぇ胡散臭いんですが、顔良って顔回の族孫なんでしょうか? ちなみに、元ネタは『顔氏家訓』です。 がいしゅつでなかったら、原文を引っ張ってきたいと思いまっす。(^^) P.S.この掲示板って、ログ検索出来ませんでしたっけ? なんか委員会の方は確認してみたんですが…
227: 2002/11/02(土) 15:44 ぐっこ 2002年07月22日月曜日 23時08分 顔回っていうと、孔子の弟子の彼ですよねえ…。本貫は曲阜のあたりでしょうか?(よく知らないんですが…) で、ええと「顔氏家訓」!? んなメジャー気味な書物に、そんなうさんくさい話が載ってるですか!? いや、私は知らないです〜。…うーん、過去ログ検索できないので、こちらの定期バックアップで検索したんですが、少なくとも顔良ネタは無かったです…。 詳細きぼん!
228: 2002/11/02(土) 15:45 もす 2002年07月22日月曜日 23時45分 私もある方に聞かれて調べてみたのですが、 あまり信頼性のある記事には思えない……か?(笑) ----------------------------------------- 顔氏之先,本乎鄒、魯,或分入齊,…(中略)… 春秋世,顔高、顔鳴、顔息、顔羽之徒, 齊 有 顔[シ豕]聚, 趙 有 顔最, 漢末 有 顔良, 宋 有 顔延之, ----------------------------------------- 既にお分かりかとは思いますが、念の為。 『顔氏家訓』を著した顔之推は、北斉〜隋の時代の人(531?〜604)。 文林館待詔・黄門侍郎などという官職についたこともあるようです。 んで、おおまかに言うと、上で挙げられた人物には、 魯国の顔氏と認められたり、瑯邪郡臨沂県と記されたり、と 確証らしき情報がある人物もいます。 いますが… 顔良は、どこにそのようなことが?!(笑) 彼は范書や後漢紀にも登場しますが、そんな記述は。。。。(^-^;
229: 2002/11/02(土) 15:45 惟新 2002年07月23日火曜日 21時35分 そんな話があるんですか! 面白いですね〜 顔之推が族孫なら、五代後の子孫の顔真卿も族孫ということに。 …顔良、実はものすごい人だった!?
230: 2002/11/02(土) 15:45 ぐっこ 2002年07月25日木曜日 21時41分 うーむ! もす様感謝! ……うー、言われてみれば確かに、どこかでその話を聞いたような来もする…どこだったか…(;^_^A 顔氏家訓は、たしか世説新語と同綴で一通り読んだと思うんですが、綺麗にとばしてました… 漢末の顔氏…ざっと正史人名辞典見ただけですが、顔俊(西平)、顔斐(斉北)、顔連(無錫)だけ…。 本当に顔回の子孫ならそう名乗るでしょうから、彼らに該当は内のかなあ…。 また後世の強引なこじつけなのかしら(;^_^A でもよりによって顔良を選ぶというのも…。文人で誰かいたのかなあ…
231:中根東竜 2002/11/28(木) 01:27 お久しぶりです。 >顔回の子孫が顔良 顔之推の子孫、顔真卿が自分の家の家系を書いた、 『顔勤礼碑』という石碑資料がありますが、 そこにはあっけなく「後漢末三国の顔氏の系図は、 よくわからない」と書かれていた記憶が・・顔良はつゆほども 出てこないんですよ。 というわけで、怪しい説だと個人的には思っています。 ・・まぁ、この『顔氏家訓』の説が後に流布したのか、 中国最大級(だと思う)の姓氏事典になる 『古今図書集成』姓氏部では、あっけなく顔回の子孫の分家は 顔良の臨沂顔氏であり、顔之推・顔真卿はその子孫である・・ と書かれてしまうのですが。
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