★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
241:japan2003/11/08(土) 13:09
※おまけ:夏侯淵伝の疑問について

夏侯淵伝の裴注に引く『世後』に以下のような記述があります。

「夏侯荘は、晋の景陽皇后の姉の夫に当り、そのおかげで、
彼の一門は当時にあって、はぶりをきかせた」
省22
242:★ぐっこ2003/11/09(日) 01:49
しっかり清流ネットワークのコアな位置にいる超エリート、羊コさん。
っていうか、改めてその血統を見ると、本当に凄い…(゚Д゚;)
権門にあまり関わって無さそうな蔡氏と縁続きというのがアクセントに
なってますが(^_^;) そういえば、党錮で捕まった名士の中に、泰山の羊氏
が一人いたと思いますが、羊コと同じ一族だったかも。

省8
243:japan2003/11/12(水) 23:57
>そういえば、党錮で捕まった名士の中に、泰山の羊氏
>が一人いたと思いますが、羊コと同じ一族だったかも。

『党錮伝』を確認してきました。八顧の一人である羊陟ですね。
羊陟は泰(太)山梁父の出身、羊コは泰山南城の出身なので
直接的な血のつながりは無いかもしれません。
省12
244:★ぐっこ2003/11/30(日) 01:36
激しく遅レスですが…
三国志事典15X-31Xさま→www32.tok2.com
の事典・羊陟の項で、蔡一族と数代にわたる交友があったことから、
南城羊氏との関連が触れられてます。
ざっと蔡邕傳を見てみると、確かに司徒・劉郃がらみの弾劾騒ぎがあった
おり、隅っこのほうに小さく
省10
245:MM22003/12/03(水) 10:50
どうもお久しぶりです。

羊陟の一族と羊コの一族についてですが、誤訳しててわかりにくくなってました。
後漢書集解の蔡ヨウ伝に「欧陽尚書九族妻族二対門九族乃妻族也…」とありまして、
「『欧陽尚書』によると「九族妻族二」とあり、「対門九族」とはすなわち妻族のことである」
という意味ではないかと。
省9
246:MM22003/12/03(水) 11:00
連続ですみません。

>蔡ヨウの一族と羊陟の一族は妻の一族を介して縁続きで、
妻の一族を介して…ということではなく、蔡氏と羊氏は互いに娘をやって姻戚同士だったという意味かもしれません。
247:japan2003/12/04(木) 23:55
ぐっこ様、MM2様、羊陟に関する情報をありがとうございました。
三国志事典15X-31X様も拝見してまいりました。
「泰山の党人の首魁」にして蔡ヨウの一族とも姻戚関係がある。
ますます羊コと親戚筋にある可能性が強くなったように思います。
『晋書』羊コ伝の冒頭に「至コ九世、並以清徳聞」とあるのも
累代清流派士大夫の家系であったことを示唆していますし。
248:★ぐっこ2003/12/04(木) 23:58
あ、ご無沙汰しておりますー!
そしてアドバイスありがとうございます!
あー、集解で注釈されるくらいマイナーな表現でしたか…。
太山黨魁羊陟與邕季父衛尉質對門九族
に限って言えば、羊陟か蔡質のどちらかの妻の一族が、先方と
繋がっている、と限定できるかなあ。…と思えば>>246の考え方
省10
249:japan2003/12/05(金) 00:14
あと>>241の訂正ですが、

>晋の景陽皇后=羊徽瑜は羊コの姉。

すいません、この記述は私の勘違いでした。
というか「晋の景陽皇后」などという人物は存在しませんでした。
省18
250:★玉川雄一2003/12/05(金) 00:30
>景陽皇后って誰やねん?
私もコレ、不思議でしょうがないのデスが。

ごっちゃになってるのか別人として存在したのか?
皇后クラスの記録が一人分抜け落ちるというのもアレですど。
やはり混同説が怪しい気がしますが…
省10
1-AA