下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
49: 2002/10/27(日) 22:21 玉川雄一[関東] > (2001/08/06(Mon) 23:18:25) 私が大学の図書館で読んだ(つもりの)「晋書」(房玄齢撰)は、中華書局のバリバリ漢文版でしたが、テキストそのものは「和刻本」と同じなのでしょうか? 二四史とおっしゃられると同じかとも思われますが… ところで、ぐっこさんは『解体晉書』というサイトをご存じでしょうか? 私は最近ご無沙汰しておりますが、晋書の日本語訳を目指しておられるサイトです。確かYAHOOで検索できたかと。
50: 2002/10/27(日) 22:22 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/07(Tue) 22:03:01) ああ、晋書本文の内容自体は同じだと思いますよ〜。ただ和刻本の方は、返り点や送り仮名が振ってあって読解がかなり楽です。大学図書館で借りたかったのですが、史学科の学徒連が延々と借りっぱなしで一巻しか読めず…。数ある正史のなかで、晋書は最も荒唐無稽で読めたものではないシロモノ、という史家の評価のようです。 あ、それと解体晉書! 三国輔臣賛提供のサイトですね〜!そういえばかなり長い間未チェックでした…。あそこも物凄く本格的なサイトですよねえ〜。全文訳となると、どれくらいの年月がかかるのか…。ふみ様の曹子建集なみに壮大なスケールです…。
51: 2002/10/27(日) 22:22 ふみ[四国] > (2001/08/09(Thu) 20:50:47) 岩波の『後漢書』追加情報です。「雲台二八将」は第3巻に収録されるそうです。半年に一冊だから、手に入るのは…一年後!? それから、現代語訳はあくまで「注」の訳で、本文の訳はつかないようです。ちょっとがっくし…(-_-;) 「解体晉書」はぜひ完成させて欲しいですね〜。自分で訳したいほど『晋書』には思い入れがないので、気長に待っていようと思います。うちのサイトは…まあ…20年後くらいにはなんとか……(むにゃむにゃ) 和刻本、私は買ってませんが、原文がないと不便だから、中華書局の二十四史を持っています。5万400円(送料込)でした。置き場所に困ってます。^^;
52: 2002/10/27(日) 22:22 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/09(Thu) 22:54:04) うわ〜二四史持ってらっしゃるんですか〜!! いいなあ〜!通史でわかるわけですよね〜!ああ、私もそれくらいは揃えとかないと〜。 ところで後漢書情報ありがとうございます〜!少なくとも来年ですか…。自分で地道に訳す方が早いかも…。 ああ、曹子建、是非とものんびりと完成させてくださいませ!
53: 2002/10/27(日) 22:43 黒竜[関東] 投稿日:2001年08月19日 (日) 01時04分06秒 18000番踏みました。 最近は読み専門だったんですが(計算が苦手なモノで)… それだけだとアレなので手土産代わりに先祖、子孫ネタを一つずつ。 三国時代の呉綱という人が漢初の長沙王呉ゼイの子孫だそうです。 あと、以前玉川さんの話にあった陶侃の曾孫が詩人の陶淵明だとか。
54: 2002/10/27(日) 22:43 玉川雄一[関東] > (2001/08/19(Sun) 21:41:36) >陶侃の曾孫が詩人の陶淵明だとか。 そうらしいんです。ご指摘ありがとうございます。 以前本屋で陶淵明の本を見つけまして、冒頭の彼の系譜についての所だけ立ち読みしました(^_^) あまりはっきりとはしていないようですが。 ちなみに晋書には、巻九四、列伝第六四の項に「陶潜伝」があります。彼が陶淵明ですよね。そこによると 陶侃−陶茂−(不明)−陶潜(元亮、365-427) 確かに、陶侃の曾孫ですね。んが。 陶侃伝(巻六六、列伝第三六)を見てみますと… この巻には、最初に劉弘なる人物の伝があり、続いて陶侃、以下彼の子、甥の伝がズラリ。 陶侃(士行、257-332) 以下彼の子の陶洪、陶瞻(道真、?-328)、陶夏、陶キ(劉表の次男と同じ字)、陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱。 そして陶侃の兄の子の陶臻(彦遐)、陶興。 ……………あら、陶茂は? そう、思いっきり怪しいのです。 私が立ち読みした本にもこの点がツッコまれていました。やっぱり晋書がいけないんでしょうか。 はっ、そういえば陶侃の父の陶丹は呉の交州刺史だったとか。まさか、ここにまで呉国超時空領域の魔の手が!?
55: 2002/10/27(日) 22:43 黒竜[関東] > (2001/08/20(Mon) 00:25:47) そうなんですよね。 実は自分の手持ちの史料にもそう書かれているモノとそうでないモノがあります。 我が部屋から発見されたアジア歴史事典の一部の陶淵明の項目を見てみると… →陶潜 (しかも陶潜の項は持ってない…) 今週水曜日に神保町に行く予定なのでその手の本でも探しましょうか…
56: 2002/10/27(日) 22:44 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 00:27:44) うお! 黒竜様!キリ番イチハチマルマルマルおめでとうございます〜っ!!キリ番一ポイント!偏将軍閣下です! ところでまたもや子孫情報ありがとうございます! なんと、以前話題の交州刺史・陶侃のひ孫が、かの詩人・陶淵明! ううむ、案外武門の末裔に文化人がぽこっと出てくる場合があるのですね…。 それと、劉氏外姓の王・呉セイの子孫は、きちんと残っていたのですか〜!呉綱…というと諸葛誕の部下ですね〜。変れば変わるもの…。 >玉川雄一様 そして陶ファミリーにまたしても謎が!? 晋書がズバリ書き忘れているのか、帝の諱でも避けて改名したのか!?陶侃がうまれた年は、だいたい諸葛誕が叛逆した当時ですか〜。
57: 2002/10/27(日) 22:44 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 00:29:05) うわ、またオフラインの時間差が(;^_^A ↑ 神保町いいなあ…。
58: 2002/10/27(日) 22:44 おばら[関東] > (2001/08/20(Mon) 03:30:27) むははは!またまた登場のおばらです。 呉鋼の祖先はあの謎多き呉ゼイですか・・・。 呉ゼイ(クサかんむりに内)は秦の役人出身です。ハ陽湖のほとりのハ陽県県令でした。彼は百越と呼ばれた異民族を徳を持って従え、大いに慕われました。 その後、各地で反乱が起きだすと、呉ゼイは黥布と協力して反乱を起こしました。呉ゼイは獰猛な百越兵を率いて項羽とともに秦を滅ぼし、項羽から衡山王に任命されました。 呉ゼイの将軍の梅エは、劉邦と意気投合し、劉邦に付き従ったそうです。項羽が敗死したあと、呉ゼイは長沙王に任命されました。越の地の抑えとして長沙王におかれたのでしょう。 このとき列侯の身分になった百越の人は、貰侯・傅胡害、海陽侯・揺母餘、終陵侯・華毋害、シャ棗侯・革朱がいます。呉ゼイと共に戦ったおかげなのでしょうか。それとも越兵は非常に戦争に強かったのでしょうか。 また、呉ゼイの身内で列侯になった人もいます。義陵侯・呉郢、便侯・呉浅(ゼイの庶子)、[シ元]陵侯・呉陽がそうです。 漢書には、「呉ゼイの子孫は王位を失ったものの、傍流にその血は受け継がれ長く栄えた。」とありますから、呉ゼイの子孫はいっぱいいたかもしれませんね。呉鋼もその一人だったのかもしれません。
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