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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
59: 2002/10/27(日) 22:44 おばら[関東] > (2001/08/20(Mon) 03:31:05) (↑の続きです)また、長沙国の相も列侯に封ぜられました。[車大]侯・利倉がそうです。 利倉の妻は近年、長沙馬王堆から発見されました。死体は今死んだ新鮮?なものと変わらず、皮膚には弾力があったそうです。 魏書で呉鋼が出てくるくだりに、「前漢長沙王呉ゼイの墓を暴いたところ、生けるがごとき死体が出てきた。その現場に立ち会った人が呉鋼に『あなたの顔は呉ゼイにそっくりだ』と言うと、呉鋼は『それは私のご先祖様ですよ。』」といったところがあります。 約2000年の深い眠りから醒めた利倉の夫人でさえ生けるがごとき死体だったのですから、利倉の主人の呉ゼイの死体もそれはそれは新鮮?だったでしょう。 しかし、呉ゼイの墓を暴いたら呉鋼そっくりの死体が出てきたなんて・・・この話、ホントなんでしょうかねぇ。 史記迷のおばらでした。
60: 2002/10/27(日) 22:44 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/20(Mon) 23:38:16) おお、おばら様!呉セイの情報ありがとうございます! 呉綱は、呉セイの16世のようですね〜。それと、思い出しましたよ〜、その死体の話! 嘘なのか本当なのか…。まあ、始皇帝の兵馬俑だって、空気に触れるまでは極彩色に彩られていて、中には水銀の川が流れていたという話ですし…あんがい古代中国の建築技術も凄かったのかも。 呉セイ、なんとなく初期の経歴は趙陀と似ていますね〜。あ、先ほど趙雲の先祖スレをまとめてみました(;^_^A
61: 2002/10/27(日) 22:45 ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 20:10:56) はじめまして。三国志の武将の先祖ネタ面白いですね。 (趙雲の先祖の話など特に) 自分の知ってるのも幾つか紹介します。既出だったらすいません。 呂凱(呂不韋) 雍ガイ(雍歯) 管寧(管仲) 荀イク(荀子) 李膺(老子) 張遼(ジョウ壱)
62: 2002/10/27(日) 22:45 ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 20:14:06) 荀子は思いきり既出でしたね。すまんです。
63: 2002/10/27(日) 22:45 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/21(Tue) 21:45:09) ナナシサソ様(;^_^A 、はじめまして〜! いえ、情報大歓迎です〜! なるほどお、最初は読み飛ばしていましたが、あらためて正史を読み直すと、先祖の記述がびっしり書いてある武将もいるんですね〜! 特に呂凱には驚きました!…いえ、いま「奇貨おくべし」を読んでいたところなので…。不韋県とは、そのまんま呂不韋からとった地名なんですね。 となると、呂凱は始皇帝の遠縁!? そして東儀家や長曾我部とも血縁!?
64: 2002/10/27(日) 22:46 玉川雄一[関東] > (2001/08/21(Tue) 22:10:25) 子孫ネタです。閻圃の子孫が、唐代の画家、閻立本っちゅー人で、『歴代帝王図巻』を描いたそうです。 以上、『三國志IV事典』より。
65: 2002/10/27(日) 22:46 ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 22:12:45) はじめまして、ぐっこ様。関係ないですが自分、某所のあずまんが三国志にもよく投稿してます(^^; あと陶淵明の母親の祖父は東晋の著名人孟嘉ですが、この孟嘉の祖父が実は呉の孟宗(筍の話の彼です)。以外な所で以外なところにつながってますよね、確かに。
66: 2002/10/27(日) 22:46 ナナシサソ[東海] > (2001/08/21(Tue) 22:18:04) ありゃ、孫じゃなくて曾孫だった>孟嘉 すいません何度も(^^;
67: 2002/10/27(日) 22:46 左平(仮名)[中国] > (2001/08/22(Wed) 19:26:28) だいぶ以前になりますが、松竹梅さんから、馬超のご先祖として、伏波将軍・馬援の名があがっていました。じつは、この馬援には、ちょっと名の知れた先祖(といっても直系のではなく、曽祖父の兄という事ですが)がいます。その人の名は馬何羅といい、なんと、漢の武帝の暗殺を企み、処刑された人物です。陳舜臣氏の『小説十八史略』に出ていました。なお、彼は『漢書』には莽何羅と書かれており、塚本ヨ史氏の『霍光』にもその名で登場しています。 ひょっとしたら、、という程度の話ですが、こんな人はいかがでしょうか。、、孫堅が戦死した後、その遺体を請い受けた桓階という人がいます。この人は、長沙郡臨湘の出身との事ですが、桓氏というと、(桓階の子孫という証拠は何もないのですが)東晋王朝の実力者・桓温がいます。北伐を敢行し、王朝簒奪を目論んでいたといいますから、相当なものです。彼はよく、「男子たる者、百世に芳しきを流す事あたわざれば、まさに臭きを万年に遺すべきである!」と言っていたとか、、。結構、さまになる物語が出来そうです。
68: 2002/10/27(日) 22:47 黒竜[関東] > (2001/08/22(Wed) 21:17:19) 馬何羅が漢書などで莽何羅となっているのは明帝の皇后である 馬氏(馬援の娘)が修史官にお願いして変えてもらったらしいです。 そして、馬何羅を投げ飛ばして暗殺を防いだのが金旋、金イの先祖の金日テイですよね。 馬援主役の物語が陳舜臣の「続・中国任侠伝」にありますよ。 11号のおかげで神保町へは行けませんでした…
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