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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
109: 2002/10/29(火) 23:54 おばら 2001年10月01日月曜日 04時01分 左平(仮名)さん、はじめまして。おばらと申します。 樊カイの子孫についてですが、 呂シュ(呂后の妹)との間にできた嫡男の樊伉は、呂氏討滅のドサクサに紛れて母と共に殺されてしまいます。 しかし、樊カイには庶子があり、樊市人が家を継ぎました。29年して樊市人は死に、子の樊他広(もしくは樊佗広)が継ぎ、6年して平民におとされました。 その後も細々と家は続いたようで、王莽に毒殺された平帝の時(紀元2年)に、樊カイの玄孫の子の樊章が祖先の舞陽侯の爵位を継いだとか。 その後は、知りませぬ。(^^;; お騒がせしました〜。
110: 2002/10/29(火) 23:55 おばら 楊喜 | ■ | 楊毋害 | ■ | 敞 司馬遷 |――+ │ 忠 ヲ = ○ | │ 譚 ■(酒泉郡に配流) | 宝 | 震 |―+―+ 牧 秉 奉 | │ │ ■ 賜 [専文] | │ │ 奇 彪 衆 | │ 亮 脩 │ 囂 │ 準 │――+―+ [山喬] 俊 髦 以前、話題になっていた楊氏を系図にまとめてみました。 きっと稚拙な頭脳で書いたので間違いだらけでしょう。 おおめに見てやってくださいましー。 なお、晋書は参考にしてません(知らないとも言う^^;)ので、 晋書を通読された方なら書き足すことができるでしょう。 玉川さまあたりなら・・・(他力本願)
111: 2002/10/29(火) 23:55 おばら 2001年09月28日金曜日 01時57分 んぎゃ〜〜〜〜 ずれちまった!! 楊ヲの妻は、司馬遷の娘です。楊ヲは楊忠の弟です。 あとずれた所は、楊囂以下全てですゥ(泣)。 楊囂は楊脩の子どもです。 ホントにすみませぬ〜。ごめんなさいデス。
112: 2002/10/29(火) 23:56 玉川雄一 2001年09月28日金曜日 10時11分 では引き続き。いや、別に苦しくなんてありませんから(^_^) 楊準の子に楊[山喬]、楊髦、楊俊の3人を挙げられていますが、 楊[イ全]期伝によれば彼の祖父は楊林というそうで、 楊林も楊準の子にあたるので4人兄弟ということになりましょうか。 で、楊林の子が楊亮。その子が楊[イ全]期(?-399)。 楊[イ全]期には兄の楊廣(?-399)、弟の楊思平(?-408)がいました。 また、彼らの従弟に楊尚保という人物もいたそうです。 「(兄弟)皆強C粗暴」ってあるので、ワイルドな兄弟だったのでしょうかね。 楊[イ全]期は武勲著しく、一旦官を退いてのち荊州刺史殷仲堪の麾下に属しましたが、 桓玄と戦って兄の楊廣と共に戦死しました。 その首は都(建康でしょうか)にさらされたそうです。 事情がうまくつかめないのですが、当初は殷・楊とも桓玄に従って叛乱を起こしたらしいのですが、 結局桓玄と戦うことになって戦死したようです。仲間割れ? 反乱軍の首魁、桓玄に討たれたとはいえ、楊[イ全]期も当初は桓玄に与したということで、梟首ということなのでしょうかね。 この時楊思平、楊尚保は逃れましたが、「思平、尚保後亦以罪誅、楊氏遂滅。」とあります。楊林の系統はここでジ・エンドの模様。 ちなみに、安帝紀(司馬徳宗)義熙4年11月の項に、「梁州刺史楊思平有罪、棄市。」とあるのはこのことでしょう。 また、同年12月には陳留王曹霊誕薨ずともあります。陳留王家、まだ続いていましたのね。 楊氏の他の系統はまだ続いたのでしょうかね。まさに大河一族! さらにこの先をご存じの方へバトンタッチ!」 そうそう、義熙4年は西暦408年です。念のため。 5世紀に入っても三国志関連人物のネタがあるとは、 恐るべし中国…
113: 2002/10/30(水) 00:00 おばら 2001年09月28日金曜日 15時30分 玉川様、訂正&補足ありがとうございます!! いやー、さらに続いているとは、恐るべし! あと、少し訂正。司馬遷の娘は、楊敞の妻でした! 勘違いでした。すいませーん。
114: 2002/10/30(水) 00:01 ぐっこ 2001年09月28日金曜日 22時53分 で、手元の史料とおばら様と玉川様の情報を元に、組み直してみました〜! 楊喜(項羽の死体の一部をゲット) ┣━━━━┓ ■ 敷 : ┃ ■ 母害 : ┃ 司馬遷 ■ ■ ┃ ┃ ┃ 娘==廠 孟嘗 ┃ ┣━┓ ┃ ■ 忠 渾 恢 (←渾のせいで一族流浪中) ┃ ┃ 譚? 譚? : ┃ : 並 宝 ┃ 竇 ┃ 震☆ ┏━╋━━┳━━┓ 奉 秉 牧 ■ ┃ ┃ ┣━━┓ 敷 賜 馥 統 ┃ ┃ ┃ 衆 彪☆ 奇 ┃ ┃ 脩☆ 亮 ┃ 囂 ┃ 準 ┏━━╋━━┳━━━┓ 髦 林 [山喬] 俊 : ┃ ■ 亮 : ┣━━┳━━━━┓ 尚保? 廣 [イ全]期 思平(A.D.408、全滅) : : : 楊堅(581〜) ┃ 煬帝(;^_^A ……うわ〜っ!
115: 2002/10/30(水) 00:01 おばら 2001年09月30日日曜日 03時23分 おおお!! なるほど〜。ぐっこさまの系譜で楊敷の家と楊敞の家が別家だったと知りました。 『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』だけでは資料不足でした^^;;。 お恥ずかしいのですが、上に挙げた史書以外で何を参考になされたか、お教えねがえませんでしょうか。 お願いしますm(_ _)m
116: 2002/10/30(水) 00:02 ぐっこ 2001年10月01日月曜日 01時30分 う…、楊家の構成、実はファイリングしてあるコピー史料の一部から作成したものなのです…。 たぶん『後漢国家の支配と儒教(雄山閣出版)』だと思うのですが。ちなみに著者は最近おなじみな渡邊義浩先生だったりします(;^_^A
117: 2002/10/30(水) 00:06 bu-show ご無沙汰しておりました。 掲示板、変えられたのですね。 晋書やらご先祖ネタで盛り上がっているようですが、私も参加させてください。 何と、諸葛緒の孫娘が『晋書』巻第三十一列傅第一に掲載されているではないですか。やはり、当時は女性ということもあって、伝に記されている文章も短いですが…。 あと、何気なくYahoo! TAIWANで三国志関係のサイトを見ていると、 日本ではまずお目にかかれない情報が沢山ありますね(当たり前ですが…)。 私は中国語の読み書きがまともにできませんが、 只何となく読んで理解するだけなら、 Yahoo! TAIWANはお勧めです(但し、BIG5をDLする必要があります)。
118: 2002/10/30(水) 00:06 玉川雄一 2001年10月02日火曜日 00時09分 どうも、初めまして、玉川と申します。 貴方のサイトでは諸葛氏について調べていらっしゃいますよね。 諸葛恢伝にも挑戦されたようで、拝見させていただきました。 で。諸葛緒の系統について注目されたようですが、 晋書には他にも巻第八十五列伝第五十五に「諸葛長民」なる人物の伝がありますね。 彼は4世紀末〜5世紀初頭の人物で三国時代の諸葛氏との繋がりは不明ですが、 琅邪陽都の人だということは… 弟に諸葛黎民、諸葛幼民、従弟に諸葛秀之がいたそうです。 で、なにやらあって413年に劉裕によって全員殺されてしまいましたとさ。 「諸葛長民」伝、いかがですか?
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