★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
160:2002/10/30(水) 23:27

中根東竜   2001年11月13日火曜日 14時36分

>ぐっこさん
>それにしても、中根東竜様、それだけの史料、どこで集められたのですか〜(T-T) うちの近所には図書館しかなくて…。

前の投稿で挙げた史料は神保町に3年ほど足繁く通って(神保町は通勤・通学ルートの途中なので)、かき集めた物です。
ですから、神保町に通えばぐっこさんも入手できますよ。

>関羽

『新唐書』をみてみましたが、関氏系図は唐の徳宗の宰相を
やっていた関播という人物のでっち上げかも。

だって、始祖が伝説の人物・関龍逢で、その後全く記述無く
関羽ー関興と続くのは非常におかしいです。その関興の子孫を
称した人々が住んでいた地域も魏の領土内の信都ですからねぇ。
なんで蜀の武将の子孫が魏に移動しているのでしょう?
しかも、他の系図には最近の人物が複数書かれているのに、関氏
系図のみは関播一人のみ。・・これは妙ですな。

>黒竜さん

>関龍逢のことですが「商大夫」とあったので商の人かと思いました…

これは単純に『新唐書』の誤りと考えて良いと思います。歐陽脩(『新唐書』の筆者)も何でこういうケアレスミスをするかなあ?
もっとも、この系図自体先に述べたように関播の偽作の可能性が
否定できないので、関播が朝廷に提出した系図が既に誤っていた
のかもしれません。

>左平(仮名)さん

『資治通鑑』を使うのは中国史の記述をするときには良くありますので、他の後世の史料とは分けた方が良いかも。

『資治通鑑』は、正史以外の実録・野史の類を司馬光はふんだんに持っていて、それをかなり正確に配置しているので、正史の次に(正史が誤っている時には正史以上に)重んじられる史料ですからね。後世とはいってもこれは別格。宮城谷氏が使うのも良く分かります。

なお、『二十二史剳記』は新しい史料を引用するのではなく、
単に正史の事項を研究した本なのでちょっとこれは用いないでしょう。
四知の話しも載っていないはずです。
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