下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
181:2002/11/01(金) 21:50AAS
おばら
あ゛〜クッキーが腐ってるぅー。
いつも変にアジテートして去って行くおばら再登場ですわ・・・。
今日は陸家のお話ということで。
陸[門+広]、字は子春。AD25〜AD55のどこかで尚書令になってます。美男子だったようで、越産の布単衣を着て、光武帝に気に入られたそうな。陸賈の子孫かなんかですかね?
その孫が陸續、字は智初。故郷の会稽郡郡守尹興の下で貧民救済してます。そのとき粥を振舞った600人以上の人の名前を覚えていたとか。楚王劉英の謀反に連座し拷問されるも、母の「真四角の肉・一寸の葱」の差し入れで孝行者として赦免される。一生仕官できずに老衰死。
続の長男が広陵郡太守陸稠、次男が楽安郡太守陸逢、末子が陸褒。
陸褒は学を好み孝行者。名誉を捨て、志を貫き一生仕官せず。
褒の子が陸康、字は季寧。義烈を称され臧旻に茂才に推挙され高成県令になる。武陵太守・桂陽太守・楽安太守と、後の孫呉の重要都市の太守に就任。銅人を造ろうとして百姓への増税を図る霊帝を上疏して諌め、大不敬罪を劉岱によって救われる。故郷呉へ強制送還させられ、後廬江が、賊の黄穰ら+江夏異民族連合=10余万人で騒がしくなったので、陸康は廬江太守に任命され悉く賊を降す。その功績で孫の陸尚は郎中に。
その後、袁術が寿春で飢え陸康に食料援助を頼んだときに断った為、袁術配下武将の孫策に攻められる。陸康は2年間篭城するも、70歳で病死。城は落ち、一族百人以上が餓死・病死。朝廷は彼の節義を憐れみ、子の陸儁を郎中に任命しています。末子の陸績は先に城から落ちていたために助かっています。
以上、後漢書の要約でした。誤訳あったらゴメンナサイm(_ _)m
あとは、正史三国志の陸遜陸績陸瑁の伝にある通りです。
誰か「陸家その後」続けてくれないかにゃ〜?晋代とか・・・。(←煽ってマース^-^;;
上前次1-新書写板AA設索