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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
267:むじん 2003/12/20(土) 05:26 どうなんでしょうね〜!(^^; 見た感じでは完全網羅しようとしていることだけは分かりますが、 果たして漏れがないかどうかまではちょっと確認できず。 数え間違いがなければ、光武帝から献帝までの時期の河南尹が66人ほど。 あと河南郡人が16人くらい。県レベルまで分かっている人は各県人に編入。 『後漢書』『三国志』のほか『水経注』からもピックアップしているようです。 馬與龍が数え上げているのは、刺史、牧、別駕以下の州吏、太守、相、郡丞以下の郡吏、 県令、県長、王、侯、郷侯、亭侯、郡人、県人などといったところ。 よかったら河南尹・洛陽県だけでもコピペしますけど目安にどうです? 後漢書集解の下巻は左周黄列伝第五十一から始まっていて、 三国関連の人物はほとんどこちら側に含まれていることはご存じの通りです。 下巻だけでも「買い」かも知れないですねー。
268:MM2 2003/12/20(土) 21:54 後漢書集解の上巻ですが、芸文書印館版だと虞傅蓋臧列伝四十八までですね。 つまり下巻は張衡伝第四十九上(四十九下が蔡ヨウ)から始まりますので本当に下巻だけでも殆ど用が足ります。 上巻で三国志とモロかぶるのは帝紀+皇后紀ですかね。後は各地の皇族諸王侯の列伝くらいですか。
269:★ぐっこ 2003/12/21(日) 01:58 >>267むじん様 (゚∀゚)! 試みとしては完全網羅しようとしてるわけですか!? えらいヤシだ馬與龍! でも県吏レベルまで掘り下げるとなると、 相当な人数になるでしょうに…。 やはり昔からこういうのに骨惜しみしないマニアがいたということか。 >よかったら河南尹・洛陽県だけでもコピペしますけど目安にどうです? Σ( ゚Д゚)きぼん…! >>268 MM2さま あ、芸文書印館版だと微妙に収録数が違うようで…って、蔡邕でんまでカバーして くれてるならばより有難い!それでお値段設定も高くないということで、買うならば 間違いなくこちらの下巻ですな(;´Д`)ハァハァ… 皇族諸王…目立たないけど以外にビッグだった皇族にも惹かれてるので、こちらも惜しいなあ… 桓霊のあたりで、それなりに名前の知れてる皇族って何人くらいいたものなんでしょう?
270:むじん 2003/12/21(日) 05:21 それでは改行抜きで一気に参ります。誤字脱字はご容赦。 【河南尹】馬與龍曰:河南太守馬況見馬援傳注,武勃見馮異傳,丁綝見丁鴻傳.河南尹歐陽歙・王梁見本傳,(割注略)張伋見光武紀,宋嵩見宋弘傳,范遷・薛昭見明帝紀,郭賀・袁安・召馴・張酺・郭鎭見本傳,郭唐見任光傳,曹祉見歐陽歙傳,王調見宋意傳,應順見應奉傳,蔡嵩見袁安傳注,龐奮見南匈奴傳,周暢見周嘉傳,鄧豹見鄧后傳,田歆見种暠傳,趙戒見李固傳注,梁冀・梁不疑・梁胤見梁冀傳,霍諝・羊陟・杜密・橋玄見本傳,房植見黨錮傳,鄧萬世見鄧后紀,何豹見寇榮傳,李膺・楊秉・劉祐・馮緄傳見本傳,朱野見朱穆傳,朱瑀・徐灌見靈帝紀,何進・何苗・許相見何進傳,朱儁・袁術・王允見本傳,楊懿見儁傳,駱業見何后紀,陳導見水經河水注,崇隗見穀水注,趙越見清水注,董昭・夏侯惇・司馬芝・裴潛見魏志本傳,龐迪見邴原傳,王肅・王恂見肅傳注,劉靖見劉馥傳,夏侯和見夏侯淵傳,呂粹・阮炳見杜畿傳注,李勝見曹爽傳,傅嘏・王觀見本傳.丞雙福見穀水注.河南都尉公孫仁見公孫述傳.仕郡孫堪見周澤傳.又郡人召夔見周勰傳,呉雄・子訢・孫恭見郭躬傳,尹存見李固傳,趙建章見臧洪傳注,孟彧・張延見靈帝紀,任棠見龐參傳,單超・單安・單匡見宦者單超傳,麹聖卿見方術解奴辜傳,潘勗見魏志衛覬傳,趙達見呉志達傳,徴崇見程秉傳. 【雒陽】馬與龍曰:雒陽令董宣・索盧放・虞延・周紆見本傳,李阜見樂恢傳,楊光見鄭弘傳,王渙・任峻見渙傳,陳歆見張奮傳,种兢見班固傳,祝良見龐參傳,呂放・呂禹見梁冀傳,袁騰見寇榮傳,虞祁見竇武傳,孔昱見本傳,周暉見周景傳,周異見呉志周瑜傳,司馬防見魏志司馬朗傳,江雙見穀水注,徐循見河水注,荀融見荀彧傳注,鄧颺・李勝見曹爽傳注,劉焉見蜀志焉傳.雒陽市令淳于翼見五行志.市丞石脩見耿恭傳.門候郅惲見本傳,何湯見穀水注.又縣人孟彧見靈帝紀,(割注略)慶鴻見廉范傳,韓鴻見呉漢傳,种暠・子岱・拂・拂子邵見本傳,郭賀・祖父堅・伯父游君見本傳,孟光見蜀志光傳. ここでは河南尹・雒陽に付された馬與龍の集解だけを取り出しています。 さすがに首都だけあって多数の名が挙がっていますが、周辺ともなると十分の一くらいでしょうか。
271:★ぐっこ 2003/12/21(日) 23:59 Σ(;´Д`) うお!? むじん様グッジョブ! なるほどお、全伝・紀・水経河注から名前を抜き出して、順番に並べるという地道な手順で…! うーむ、河南尹のポストなんか今まであまり注目してなかったのですが、確かに三国時代の 見知った顔がずらずらと。首都圏長官職なわけで桓〜霊のあたりなんか、政変に関わってる 連中の顔ぶれもよくわかる(^_^;) うーん、洛陽令職も充実してますねえ…。曹操がなりたかったというだけあって、これまた 有名な顔ぶればかり。あ、周瑜パパに司馬望ハケーン。
272:MM2 2003/12/23(火) 01:38 更新ミスっててブルーなMM2です。 皇族といえば最近読んだ石井仁「曹操」に後漢末の曹操領内に現存していた皇族について(メモ程度ですが)書かれてました。 帝紀を読むと嫡流に近い皇族なんかは薨じた時期が載ってるので列伝と併せると、どのくらいの時期の人か絞るのは簡単ですね。 ビッグな皇族といえば皇帝の兄弟とかになるんでしょうけど、桓帝の場合は名前の残ってる兄弟が結構いる(安平王豹、河間王建、勃海王カイ、長社公主、益陽公主 ※長社公主の夫は雲台二十八将の耿ショウの弟の子孫耿授、益陽公主の夫は同じく雲台二十八将の寇恂の子孫)のでその辺の力が強かったのでしょう。 霊帝は不思議なことに名前の残っている兄弟が見えず、董后(霊帝の生母)紀を見ると董后の兄弟とか縁者の名前が結構挙がってますね。桓帝の梁氏ほどではないにしろ、外戚が強かったんでしょう。 最近雲台二十八将の子孫についても着目してます。二十八将の子孫て後漢末まで結構残ってますよね。本当に前漢と違って子孫の残りやすい環境なんですね、後漢王朝というのは。
273:★ぐっこ 2003/12/24(水) 01:54 激しく同意! 私も彼らの後の世代が気になります…。はっきりと分かってる呉漢や 昶Zらの子孫の他に、どういう人がいたのでしょう? 仰るとおり後漢王朝の性質上、宿将連中がけっこう子孫繁栄していて、 外戚系だとかなり後まで羽振りを利かしてるみたいですし。 後漢書の彼らの伝だと、末期までサーチできる人物ってそんなにいないのが 残念。せいぜい孫の代くらいまで封地引き継いだ人間の名前列挙して終わり。 彼らの子孫が、三国志前後でどういう評価を受けていたのか知りたいですねえ… >皇族 霊帝は、特に絶対皇帝になれっこなさそうな地方の亭侯クラスの皇族をひっぱって きたんでしたっけ…? それで親族縁者が乏しかったとか。
274:むじん 2003/12/24(水) 03:15 劉備の養子劉封が羅侯寇氏の出自ってのがどうもなぁ。 むしろ鄧氏じゃないかと…。どう思われます? 三国志集解でもスルーなんですが…もし二十八将の子孫だったら…おいしいね。
275:★ぐっこ 2003/12/25(木) 01:01 >>274 なんだって――――っ!? どれどれ…って調べようと思ったら、なんで昶Zの子孫ってこんなに 詳しくゾロゾロ列挙されてるんだ(^_^;) ちとじっくり調べられないので 先に質問してしまいますが、誰か子孫が羅侯に封じられてるんでしょうか? 羅っていったら、長沙のあたりですよねえ… そういえば昶Zも新野の人。搦ナは新野にほど近い義陽だからわかりやすいが… もし劉封=摯浮セとすれば、かなりハァハァなんですが。
276:むじん 2003/12/25(木) 03:04 いやー、それがよくわかんないんですよね。 鄧禹の孫娘が和熹皇后なんですが、彼女はかなりのお兄ちゃん子だったようで、 鄧隲は史上初の儀同三司になってたりします。兄妹で安帝を擁立しました。 鄧隲は謙虚な人柄で、何度も宮中を去って屋敷に帰りたいと訴えましたが、 太后は一年余りも渋ったのち、ようやく許可します。 鄧隲は弟三人とともに万戸侯に封ぜられますが、兄弟そろって堅く辞退、 とうとう勅使に見つからないよう逃げまどいながら宮中に参内して直訴します。 太后は許可せず、その遣り取りが5〜6回繰り返されてやっと認められたのでした。 鄧隲は倹約を心がけ、苦役を免除してやり、数多くの名士を推挙しました。 母の喪が明けると、また詔勅によって前職に戻れと命じられましたが、これも叩頭して辞退。 太后が逝去し、安帝は長じるとともに暗愚な君主へ…。 鄧氏に怨みを持つ者がいて、鄧隲の弟が平原王擁立を企てたと讒訴、 安帝の怒りを買った鄧氏はみな罷免され、ある者は自殺し、 鄧隲は羅侯へと転封され、そこで絶食して死にました。 その後の羅侯がどうなったのか、後漢書には記されていないようです。 劉封の祖先が鄧隲であるという確かな証拠はないんですが、 それ以上に、寇氏と羅国のあいだに接点を見出せないんです。見落としなのかな。
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