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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
282:★玉川雄一2004/11/20(土) 03:13AAS
■皇甫方回
あー、ごめんなさい、私の勘違いだったみたいです。
晋書列伝第四十六の王[广異](オウヨク)伝の記事で、
「王[广異]が荊州刺史となった際に、前任者だった陶侃の故将や
徴士の皇甫方回などを大いに誅戮したので人望を失った(意訳)」
という個所のことだったと思います。子孫でなくて当人でしたね。
時期としては、王[广異]は荊州刺史となった際に前任者である陶侃の旧部下が
彼の就任を拒んで叛徒・杜曾と結託したため着任が遅れたようで、
着任が“杜曾の乱”の完全鎮圧後とするならば319年ということになり、
皇甫方回の殺害もその頃ということになるでしょうか。
■系図のミッシングリンク
私も自分のサイトで系図を作っているのでよく分かります。
とりあえず本籍の県レベルまで同じならば血族であることは堅いんですけど、
系図を作ろうとするとやはり“繋げて”みたくなるんですよね。
そして文献を読んでいて困るのが、「そこに記載されていない人物の存在の可能性」ですね。
“Aの子にB、(Aの)孫にC”とあった場合でも、BとCが親子とは限らないわけで、
実はAにはBの他にDという子があり、Cはその子だったという可能性もある。
従弟などの関係でも微妙なところで、
“AとBは兄弟、Aの子にC、Cの従弟にD”とあっても、
BとDが親子とは言い切れない。
ところで>>281で挙げられた段氏は四世紀初頭の鮮卑段部のことでしょうか。
そして羊氏は泰山の羊氏?
鮮卑段部においても、段匹テイの従弟とされる段末杯(末波)は、
匹テイの父・務勿塵の弟である渉復辰の子と断定できるのか?
この辺は史書をしらみつぶしにあたるしかないですね。
思わぬところでサラリと触れられていたりする場合もありますし。
系図作成に関して他にも情報を補完し合えたらいいですね。
その際はまたよろしくお願いします。
とりあえず拙作を参考までに。三国〜晋(の途中まで)です。
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