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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
73: 2002/10/27(日) 22:48 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:24:06) 桓階ルートは別かな? 桓階伝によれば、彼の祖父は桓超、父は桓勝。桓階の嗣子は桓祐、 恐らくその他にまだ子が三人、その一人が桓嘉。東興で呉と戦い、韓綜とともに戦死した彼です。 桓嘉の子が?桓翊。また、桓階の孫に桓陵(字・元徽)がおり、司馬炎の時代にケイ陽太守になったそうで。 また、桓階の弟に桓纂。以上、魏書桓階伝および裴註からでした。
74: 2002/10/27(日) 22:49 玉川雄一[関東] > (2001/08/23(Thu) 00:37:20) さて、呉書に桓彝なる人物あり。なにィ!と思ってみれば残念ながら桓温のパパとは別人。 しかしこちらの桓彝は、なんとまあ桓階の弟。しかも、呉に使えて尚書になっておりました。しかし、孫亮廃位に反対して孫[糸林]に殺されました。兄と違い、地元に残って呉に仕官したのでしょう。 さて、この桓彝、没年は258年ということになりましょうか。 一方、桓温パパの桓彝さんは字を茂倫、生没年276−328。こりゃ明らかに別人ですな。おまけにこちらの桓彝の父は桓ルなるお方だそうで。 で、望みの綱?の桓禺さん。彼が江夏太守となったという嘉平年間とは249〜254年のこと。桓ルよりも世代は上のようですねえ。
75: 2002/10/27(日) 22:50 ナナシサソ[東海] > (2001/08/23(Thu) 04:34:56) 桓栄(字:春卿)の出身も[言焦]郡竜亢なので桓階は別系でしょう。 桓禺が桓温の直系の先祖かどうかは晋書に記述が何もないのでわかりませんが、一族であることはほぼ間違いないでしょう。 桓ルについては桓彝が幼少のうちに無くなったみたいで、何もそれらしい記述はありませんでした。
76: 2002/10/27(日) 22:50 MOS[外国] > (2001/08/23(Thu) 05:50:22) ちょっと御堅いカキコが連続して申し訳ありませぬ〜〜(>_<) まず、「公孫氏が異常に多い」という事ですが・・・単純な理由があるんです。 それは「漢民族全員の祖である黄帝の姓が公孫だから」です。 ちょっとツッコむと、たしか史記の五帝本紀だったと思いますが、 黄帝は姓が公孫で帝鴻氏とも呼ばれ、黄帝の孫に当たる帝センギョクは高陽氏とも。 鴻や高陽を名としている方もいるので断言は出来ませんが、 一節によると、古来では姓と氏は別で、時が経つにつれて同一視されていったそうです。 ちなみに、黄帝以外の五帝(帝センギョク・帝コク・唐帝尭・虞帝舜)は全員黄帝の子孫で、 夏の始祖である王ウもセンギョクの子孫なので、黄帝の子孫。 さらには夏に限らず、商・周・秦も黄帝の子孫を名乗っています。 というように、ある意味「『公孫』を姓に持つ」という事は 漢民族にとっては超自然的な事だったのではないでしょうか?(^^) つまり、公孫サン・公孫淵・公孫述が皇帝を名乗るのは当然だったのです!!(嘘爆)
77: 2002/10/27(日) 22:50 MOS[外国] > (2001/08/23(Thu) 05:52:11) 訂正 「鴻や高陽を名としている方」→「鴻や高陽を名としている研究家」 わかりにくい表現で失礼しました。。(^^ゞ
78: 2002/10/27(日) 22:50 ナナシサソ[東海] > (2001/08/23(Thu) 14:32:11) 自分の投稿した陶淵明の先祖の話で誤植が・・・ ×陶淵明の母親の祖父 ○陶淵明の母方の祖父 でした(汗
79: 2002/10/27(日) 23:23 MOS[外国] 投稿日:2001年08月23日 (木) 06時32分19秒 秦氏をちょっと調べてみたんですが・・・ http://www4.justnet.ne.jp/~takeuchi_toshinori/tai_1_26.htm ↑を見る限りだと、伊賀の服部家も秦氏の子孫のようですねぇ♪ そういえば、どっかで聞いた覚えが・・・あるような無いような(笑) ちなみに、エイ氏・趙氏は黄帝の長男玄囂の子孫だそうですよ。 玄囂は位を継げずに、また、一節には継いだけれど後に剥奪されて、 甥(黄帝の次男の子)であるセンギョクが五帝の2番目に来ています。
80: 2002/10/27(日) 23:24 黒竜[関東] > (2001/08/23(Thu) 09:25:51) 公孫氏の話なんですが、「中国姓氏考」という本に引用されている 「通史」氏族略には 「春秋の時、諸侯の孫亦以て氏と為すは、公孫氏と曰い、皆貴者の称たり」 とあって別項には、「公孫は爵位を氏としたもの」となってますから 黄帝まで遡らなくてもいいようです。 ちなみに氏(姓は除く)は不変ではなく、宋の系図を例にすると、 桓公→公子目夷(字は子魚)→公孫友→魚石 と世代ごとに変化するなかで、公子、公孫、王子、王孫などの氏が 成立したらしいです。 公孫以外はあまり見かけませんけど…
81: 2002/10/27(日) 23:25 ナナシサソ[東海] > (2001/08/23(Thu) 13:48:56) >服部家 服部家は自ら伊賀平氏を名乗っています(汗 平氏物語にも登場する伊賀左衛門尉家長を家祖としているようですね。「三国地誌」という書籍には「服部家が秦氏の末裔というのは誤りである」とあるそうです。
82: 2002/10/27(日) 23:25 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/23(Thu) 23:03:22) ■桓温のご先祖は… ご先祖の諱を避けるハズですから、桓彝を挟む時点で桓階━桓温ルートは無いかもしれませんね〜。同郷で同姓、というだけではありますが、桓禺のほうはそれっぽいですね。…それにしても、これまであまり興味の無かった桓階について、急に詳しくなりました(^_^) ■ご先祖さま 商王朝! 夏王朝! さいごは黄帝!本当に神話ですね〜(;^_^A おお、費昌ですか〜! 伊尹のお話あたりに登場してるかも! さらに趙雲のご先祖を追加せねば!案外すごいぞ、子龍! また陳到に差を開けた! いま手持ちの正史全人名辞典(ちくま)を確認したところ、「三国志」に登場する士氏は10名。そのうち9名がなんと士燮の一族!(^-^; ちなみにあとひとりは、いわゆる傅士仁です。「沙中の回廊」を読んでいて「あ、士燮がいる〜♪」と思ったものですが、やはり先項の避諱の風習からして、士会と交州の士燮は別ルートかもしれません〜。
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