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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
97: 2002/10/27(日) 23:57 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/31(Fri) 22:44:21) ちょっと確認してみましょう〜! まず陶丹というと陶淵明の遠い先祖で、 >ちなみに晋書には、巻九四、列伝第六四の項に「陶潜伝」があります。 >彼が陶淵明ですよね。そこによると >陶侃−陶茂−(不明)−陶潜(元亮、365-427) >確かに、陶侃の曾孫ですね。んが。 >陶侃伝(巻六六、列伝第三六)を見てみますと… >この巻には、最初に劉弘なる人物の伝があり、 >続いて陶侃、以下彼の子、甥の伝がズラリ。 >陶侃(士行、257-332) >以下彼の子の陶洪、陶瞻(道真、?-328)、陶夏、陶キ(劉表の次男と同じ字)、 >陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱。 >そして陶侃の兄の子の陶臻(彦遐)、陶興。 >……あら、陶茂は? そう、思いっきり怪しいのです。 >私が立ち読みした本にもこの点がツッコまれていました。 >やっぱり晋書がいけないんでしょうか。 >はっ、そういえば陶侃の父の陶丹は呉の交州刺史だったとか。 という家系ですね〜! で、陶[王黄]のほうはというと、呉の蒼梧太守として呉の最南端を守護し、交州の牧になった人物!なかなかの勇将だったようですね。 弟の陶濬は、呉の最後の荊州牧・鎮南将軍として晋軍を迎え撃ったはいいが、翌日兵士全員に逃亡されたという困ったさん。 彼らは丹陽の出身であったようですが、陶侃のほうはどうなんでしょう?
98: 2002/10/27(日) 23:57 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/31(Fri) 22:46:51) どうも交州って、世襲というか独立勢力っぽいイメージがありますので、同族でないと牧や刺史職をまわしたりできないかも…。 加えて、また時間軸の問題が発生しそうですね〜
99: 2002/10/27(日) 23:57 玉川雄一[関東] > (2001/09/04(Tue) 22:40:30) えー、「解體晉書」さんで教えていただけました。 やはり私の記憶違いでして、陶丹は呉の交州刺史になったという記録は残っていないそうです。間違いなく、陶基と混同していました。 しかし、陶丹は呉の揚武将軍だったそうです。出身は[番β]陽とのことで、やはり呉に仕えていたそうで。
100: 2002/10/27(日) 23:58 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/09/06(Thu) 22:59:20) なるほど、[番β]陽出身ですかー。じゃあ別口の陶氏ですね〜。 それより陶[王黄]、陶濬兄弟の方が気になる。丹陽の陶氏というからには、かの徐州の梟雄・陶謙と同族なんでしょうね〜。
101: 2002/10/29(火) 22:52 玉川雄一 ★ 丁奉の子発見!? ★ 晋書の三国志関連人物を洗うべくパラパラとめくっておりますと、思わぬ発見が!? これまではろくすっぽ目にも通さなかった「志」の部分を読んでいましたら、五行編に怪異現象じみたお話が。こりゃ面白そうと見ていますと、「豕禍」の項に呉の丁奉が登場! 三国志呉書丁奉伝では、彼の死後孫晧によって家族が強制移住されたと書かれていますが、実はそれは「豕禍」が原因だった? なんでも、丁奉の営に野豕が入ってきたことがあったそうで、遺族の災難もそれが原因だろう、と。 そして、発見! 晋書の例の件には、孫晧によって丁奉の子の丁温が殺されたとあるようなのです! 呉書には載っていない丁奉の子…ただいま、「解體晉書」さんで鑑定を依頼中であります。 うーむ、列伝だけでなく、「志」もあなどれませんな…
102: 2002/10/29(火) 22:55 ぐっこ 2001年09月23日日曜日 23時38分 なんとっ! 三国志に名の無い人物! 丁奉の子の丁温! しかも孫晧に誅されてる…。これだから晋書ってやつは〜! こりゃあ探せばウハウハですな〜!どんな人物がどんなところから飛び出して来るやら…。 正史で馴染の「索引探し」が出来れば随分楽でしょうが…。いいな〜! あ、私は引き続いて後漢書と格闘中。…漢文、嫌いです。
103: 2002/10/29(火) 23:02 左平(仮名) 「三国志全人名事典」から、姓または氏が同じというだけで「ひょっとしたら?」というご先祖候補の有名人をかたっぱしからピックアップしてみようかと、、。なお、出身地などは省略しておりますので、根拠は全くといっていいほど、ないです。また、韓・魏・趙、王・張・李・劉・曹・孫といったところは人数が多すぎるので省略。 【い】尹〜 尹佚(いんいつ:史佚とも)。周王朝初期の史官。成王がたわむれで弟の唐叔虞(晋国の祖)を「封じる」と言ったのを「そのとおりになさる様に」と諌める。「天子に戯言があってはならないのです」というのがその理由。→『重耳』(上) ・尹黙、尹賞など。 【え】衛〜 衛青(えいせい)。前漢・武帝の衛皇后の弟にして、大将軍。匈奴との戦いで戦功をあげる。彼の死後、巫蠱の乱(ふこのらん)で一族は滅んだはずですが、あるいは、、。→『霍去病』『中国傑物伝』 ・衛カン(王に灌の右側)、衛茲など。 【え】閻〜 閻楽(えんらく)。秦の宦官・趙高の親戚。二世皇帝・胡亥を自殺に追い込む。それだけ。→『小説十八史略』 ・閻圃など。 【か】華〜 華元(かげん)。春秋時代中期・宋の宰相。出目で太鼓腹という愛嬌あるキャラクタ−。晋・楚二大国の和平を斡旋。→『華栄の丘』 ・華キン(音に欠)など。 【か】カイ(萠にリ)〜 カイ通(かいとう)。韓信に「天下三分」を説いた説客。→『史記の風景』 ・カイ越・カイ良兄弟。 【か】霍〜 霍光(かくこう)。前漢の昭帝・宣帝を支えた実力者。「関白」の語源でもあります。彼の死後、霍氏は滅ぼされているはずですが、あるいは、、。→『霍光』 ・霍峻、霍弋親子など。
104: 2002/10/29(火) 23:51 左平(仮名) 2001年09月30日日曜日 20時00分 【こ】伍〜 伍子胥(ごししょ)。名は員。子胥は字。楚の名臣・伍挙の孫。父と兄を楚王によって殺された為、呉に亡命し、楚王の屍を鞭打って復讐したという。後、讒言を信じた呉王によって自殺させられ、屍は長江に流された。なお、彼の子は斉の鮑氏に託されたという。伍子胥=孫武という説もあるとか。→『小説十八史略』 ・伍朝など。 【こ】高〜 高固(こうこ)。春秋時代・斉の名族。斉が晋の大臣・郤克(郤缺の子。容貌が醜悪だった)を辱めた直後に晋が主催する会同(国際会議)に出席せざるを得なくなったが、郤氏の報復を恐れて引き返す。なお、彼にかわって会同に出席した事で、晏弱は一躍有名になり、後に彼の子の晏嬰が宰相の位に登るきっかけとなった。→『晏子』 高柔・高幹など。 【こ】国〜 @子産(しさん)。春秋時代・鄭の名宰相。孔子に敬仰された、当代随一の知識人。一代改革を断行し、初めて成文法を作った人でもある。氏名はふつう公孫僑といわれるが、彼の父の字が子国であった事から、彼の家は国氏ともいわれる。→『子産』 A国左(こくさ)。春秋時代・斉の名族。なかなかの辣腕家であったが、崔杵の策謀にかかり、粛清される。→『晏子』 ・国淵、国泰親子。
105: 2002/10/29(火) 23:52 左平(仮名) 2001年09月30日日曜日 21時00分 【さ】崔〜 崔杵(さいちょ)。春秋時代・斉の人。斉を強国とした名臣であったが、斉公が妻を奪おうとしたのに対して激怒し、ついに斉公を殺害する(この直後、「崔杵弑其君」という記述をめぐって史官と対立)。数年後、彼の一族は滅びるのですが、彼の子の一人は魯へ亡命し、生き残ったそうです。なお、『世説新語』には、晋代にその子孫の崔正熊という人物がいたという記述があるとか。→『晏子』 ・崔烈、崔林、崔エン(王に炎)など。 【し】荀〜 荀林父(じゅんりんぽ)。春秋時代・晋の宰相。名将・士会と同時代の人であるが、割と温厚かつ平凡な人。彼の子孫が中行氏を、彼の弟の子孫が知氏を名のる。→『沙中の回廊』 ・荀掾A荀攸など。 【し】淳于〜 淳于コン(上は髪の上部、下は几)(じゅんうこん)。奴隷出身。人の心理を読むのに長け、ユ−モアに富んだ人。確か、彼の子孫の一人に、かの鑑真和上が。→『小説十八史略』『反骨列伝』 ・淳于瓊など。 【し】上官〜 上官桀(じょうかんけつ)。前漢の武帝の護衛。武帝が崩ずる際、霍光らとともに後事を託される。後、霍光と対立し、一族もろとも滅ぼされる。しかし、あるいは、、。→『霍光』 ・上官崇など。 【と】東方〜 東方朔(とうほうさく)。前漢の武帝の時代の人。博学多才のユ−モリスト。塚本ヨ史氏の作品では、体を自由自在に折り曲げる事の出来る長身の美男という設定。→『霍去病』 ・東方安世。 【と】董〜 董狐(とうこ)。春秋時代・晋の史官。趙氏が晋公を殺害したのを「趙盾弑其君」と記した(趙盾自身が晋公を殺したわけではないが、一族の者が起こした事件に対し、趙氏の総帥であり、かつ亡命直前とはいえ一国の宰相であった趙盾にはそれを止める責任があったとみなした)事で孔子に賞賛される。→『孟夏の太陽』 ・董遇など。 【は】白〜 白起(はくき)。戦国時代・秦の常勝将軍。長平の戦いでは、趙軍45万のうち5万を戦死させ、残る40万をすべて穴埋めにして殺したという。後に自殺を命じられる。→『白起』 ・白波など。 【は】樊〜 樊カイ(口に會)。漢の高祖・劉邦の護衛。劉邦の正妻・呂氏の妹の夫でもあります。彼と呂氏との間の子は呂氏が滅ぼされた際に殺されていますが、他はどうなのか、、。→『小説十八史略』 ・樊稠など。 【ほ】鮑〜 鮑叔(ほうしゅく)。名は牙。叔は字。春秋時代・斉の人。「管鮑の交わり」で知られる。→『管仲』(現在連載中との事。著者は、もちろん、宮城谷氏です) ・鮑信など すみません、一つ訂正が。【け】の「ケイ」ですが、「刑」ではなく、「刑の左側に郤の右側」です。 また、ご先祖?の追加を。 【ら】欒〜 欒氏。西周時代に晋の公室から分かれた名家。欒書(らんしょ):春秋時代、晋の宰相。讒言によって郤氏を滅亡させた後、晋公(q公)を殺害。彼自身は普通に亡くなっているが、孫の代に士氏と争い、滅ぼされています。→『子産』 ・欒文博。 【よ】羊〜 羊斟(ようしん)。春秋時代、宋の人。戦いの前に、不吉さを感じた華元が羊の肉を与えなかった事を恨み、華元を敵中に放置する。後、華元が宋に帰還すると、魯に亡命する。→『華栄の丘』 ・羊コ(示に古)など。、、ただ、死後、住民たちが石碑(祭りの時にはその死を悼んで泣いた為に堕涙の碑と呼ばれたという)を建てたという名将・羊コの先祖としては恥ずかしすぎますが、、。 【ほ】北宮〜 北宮佗(ほくきゅうた)。春秋時代、衛の人。北宮氏は、衛の名家です。楚の霊王の最期を預言。→『子産』 ・北宮玉。
106: 2002/10/29(火) 23:52 玉川雄一 2001年09月30日日曜日 20時10分 遡りますか! 意外なのが判明すると楽しいですね。 で、ご協力できないのが恐縮ですが… 高柔と高幹どうしも縁続き(ちょっと遠いけど)らしいんですよね。 何となく意外でした。やっぱり高幹もただもんじゃありませんのね。
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