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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
112:2002/10/29(火) 23:56AAS
玉川雄一 2001年09月28日金曜日 10時11分
では引き続き。いや、別に苦しくなんてありませんから(^_^)
楊準の子に楊[山喬]、楊髦、楊俊の3人を挙げられていますが、
楊[イ全]期伝によれば彼の祖父は楊林というそうで、
楊林も楊準の子にあたるので4人兄弟ということになりましょうか。
で、楊林の子が楊亮。その子が楊[イ全]期(?-399)。
楊[イ全]期には兄の楊廣(?-399)、弟の楊思平(?-408)がいました。
また、彼らの従弟に楊尚保という人物もいたそうです。
「(兄弟)皆強C粗暴」ってあるので、ワイルドな兄弟だったのでしょうかね。
楊[イ全]期は武勲著しく、一旦官を退いてのち荊州刺史殷仲堪の麾下に属しましたが、
桓玄と戦って兄の楊廣と共に戦死しました。
その首は都(建康でしょうか)にさらされたそうです。
事情がうまくつかめないのですが、当初は殷・楊とも桓玄に従って叛乱を起こしたらしいのですが、
結局桓玄と戦うことになって戦死したようです。仲間割れ?
反乱軍の首魁、桓玄に討たれたとはいえ、楊[イ全]期も当初は桓玄に与したということで、梟首ということなのでしょうかね。
この時楊思平、楊尚保は逃れましたが、「思平、尚保後亦以罪誅、楊氏遂滅。」とあります。楊林の系統はここでジ・エンドの模様。
ちなみに、安帝紀(司馬徳宗)義熙4年11月の項に、「梁州刺史楊思平有罪、棄市。」とあるのはこのことでしょう。
また、同年12月には陳留王曹霊誕薨ずともあります。陳留王家、まだ続いていましたのね。
楊氏の他の系統はまだ続いたのでしょうかね。まさに大河一族!
さらにこの先をご存じの方へバトンタッチ!」
そうそう、義熙4年は西暦408年です。念のため。
5世紀に入っても三国志関連人物のネタがあるとは、
恐るべし中国…
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