★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
148:2002/10/30(水) 23:22

黒竜

來氏の続きですが…

先日、新唐書を読む機会があったんですが、表の宰相世系が凄すぎます。
省10
149:2002/10/30(水) 23:22

ぐっこ     2001年11月10日土曜日 01時03分

唐代ですか〜!
もうやりたい放題のようですね(;^_^A 何処の国でも家系図偽造は当たり前だったんですね…。
でも絶対嘘とは言い切れない人もいるでしょうし…。そもそも同姓同族の原則で言えば、嘘を付いているわけでも無し。
省7
150:2002/10/30(水) 23:22

玉川雄一     2001年11月10日土曜日 08時57分

ある意味そうそうたる?ラインナップでありますね。
閻氏は何やら続いていたそうですが…

省12
151:2002/10/30(水) 23:23

ぐっこ     2001年11月11日日曜日 00時37分

うわはは〜!
なんだか大変なことになってますね〜唐代の家系図。
顧氏や鍾氏はまあいいとして、なぜに薛蘭…あえて子孫を名乗りたいとは思わない人物ですが…。
省7
152:2002/10/30(水) 23:23

黒竜 2001年11月11日日曜日 01時52分

崔州平、原文が
「烈、後漢太尉、城門校尉、生鈞、字州平、西河太守」となってます。
兄貴の名前が崔均なんであっさり信じたんですが… 疑う余地はありそうですね。
省13
153:2002/10/30(水) 23:24

左平(仮名) 2001年11月11日日曜日 10時57分

唐書についての知識は皆無なので入り様がないのですが、、関龍逢の名が出てきたので、ちょっと説明を。
関龍逢とは、商ではなく、夏王朝末期の人です。桀王の暴虐をたびたび諌めましたが、ついに殺されたという名臣です。ちなみに、彼は関氏ではなく、関龍氏だった様です。宮城谷昌光氏の『天空の舟』に、「、、夏の社の神体は、「交龍」である。、、そのおさめるところは河水(黄河)である。、、ここの最高責任者は関龍家であった。、、」という記述があります。
関羽以前で名の知れている関氏といいますと、、
省8
154:2002/10/30(水) 23:24

中根東竜   2001年11月11日日曜日 17時58分

どうも、ご無沙汰の中根です。

>『新唐書』宰相世系表
省48
155:2002/10/30(水) 23:24

黒竜 2001年11月11日日曜日 23時19分

左平さん、中根さん、私の雑な話題に注釈を入れてくださってありがとうございます。

何しろ新唐書のあまりの書きっぷりに興奮冷めやらぬもので…
省12
156:2002/10/30(水) 23:24

ぐっこ     2001年11月12日月曜日 00時38分

 >崔氏
いまのところ手元の資料は三国志と辞書だけの状態なので、詳しくは判らないんですが…。崔鈞は、「銅臭ェんだよオヤジは」って言った人ですよね(西河太守として反董卓連合にも参戦)。で、崔州平は孔明の友人。崔均はその州平の兄。
…やっぱり三(以上?)兄弟っぽい状況ではありますが…。
省16
157:2002/10/30(水) 23:25

左平(仮名) 2001年11月12日月曜日 20時43分

宮城谷三国志でどの程度まで「後世の」資料を使うかですが、、一つ、蛇足までに。
第一回で楊震の「四知」という言葉が出てくるのですが、その内容は資料によって若干のずれがあります。元ネタの『後漢書(楊震伝)』では「天知る、神知る、我知る、子(汝)知る」、『資治通鑑』では「天知る、地知る、我知る、子知る」となっているのです。
そして、宮城谷三国志で採用されているのは、後者です。「天、神」よりも「天、地」の組み合わせを好んだというのもあるでしょうが、『資治通鑑』は北宋の司馬光の著作ですから、ひょっとしたらひょっとします。
省7
1-AA