下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
150:2002/10/30(水) 23:22
玉川雄一 2001年11月10日土曜日 08時57分
ある意味そうそうたる?ラインナップでありますね。
閻氏は何やら続いていたそうですが…
省12
151:2002/10/30(水) 23:23
ぐっこ 2001年11月11日日曜日 00時37分
うわはは〜!
なんだか大変なことになってますね〜唐代の家系図。
顧氏や鍾氏はまあいいとして、なぜに薛蘭…あえて子孫を名乗りたいとは思わない人物ですが…。
省7
152:2002/10/30(水) 23:23
黒竜 2001年11月11日日曜日 01時52分
崔州平、原文が
「烈、後漢太尉、城門校尉、生鈞、字州平、西河太守」となってます。
兄貴の名前が崔均なんであっさり信じたんですが… 疑う余地はありそうですね。
省13
153:2002/10/30(水) 23:24
左平(仮名) 2001年11月11日日曜日 10時57分
唐書についての知識は皆無なので入り様がないのですが、、関龍逢の名が出てきたので、ちょっと説明を。
関龍逢とは、商ではなく、夏王朝末期の人です。桀王の暴虐をたびたび諌めましたが、ついに殺されたという名臣です。ちなみに、彼は関氏ではなく、関龍氏だった様です。宮城谷昌光氏の『天空の舟』に、「、、夏の社の神体は、「交龍」である。、、そのおさめるところは河水(黄河)である。、、ここの最高責任者は関龍家であった。、、」という記述があります。
関羽以前で名の知れている関氏といいますと、、
省8
154:2002/10/30(水) 23:24
中根東竜 2001年11月11日日曜日 17時58分
どうも、ご無沙汰の中根です。
>『新唐書』宰相世系表
省48
155:2002/10/30(水) 23:24
黒竜 2001年11月11日日曜日 23時19分
左平さん、中根さん、私の雑な話題に注釈を入れてくださってありがとうございます。
何しろ新唐書のあまりの書きっぷりに興奮冷めやらぬもので…
省12
156:2002/10/30(水) 23:24
ぐっこ 2001年11月12日月曜日 00時38分
>崔氏
いまのところ手元の資料は三国志と辞書だけの状態なので、詳しくは判らないんですが…。崔鈞は、「銅臭ェんだよオヤジは」って言った人ですよね(西河太守として反董卓連合にも参戦)。で、崔州平は孔明の友人。崔均はその州平の兄。
…やっぱり三(以上?)兄弟っぽい状況ではありますが…。
省16
157:2002/10/30(水) 23:25
左平(仮名) 2001年11月12日月曜日 20時43分
宮城谷三国志でどの程度まで「後世の」資料を使うかですが、、一つ、蛇足までに。
第一回で楊震の「四知」という言葉が出てくるのですが、その内容は資料によって若干のずれがあります。元ネタの『後漢書(楊震伝)』では「天知る、神知る、我知る、子(汝)知る」、『資治通鑑』では「天知る、地知る、我知る、子知る」となっているのです。
そして、宮城谷三国志で採用されているのは、後者です。「天、神」よりも「天、地」の組み合わせを好んだというのもあるでしょうが、『資治通鑑』は北宋の司馬光の著作ですから、ひょっとしたらひょっとします。
省7
158:2002/10/30(水) 23:26
黒竜 2001年11月12日月曜日 20時52分
残念ながら薛蘭は孟嘗君とは無関係なんです。
自分も薛氏と言えば薛綜の子孫とばかり思っていたので度肝を抜かれたんですが、
周初から春秋はじめまで薛侯であった家のようです(信憑性はともかく)桓公に逆らって国替えされ、
省17
159:2002/10/30(水) 23:27
ぐっこ 2001年11月13日火曜日 01時23分
>左平(仮名)様
ふえ…。宮城谷先生がそうである以前に、左平様の史料の幅広さに呆然としておりますが、いかがお過ごしでしょうか(;^_^A
四知…わたしも後者の天地バージョンしか知りませんでした〜(;^_^A そうか、原文は天と神だったわけですね…。当時の様式からいって、そのほうが正解なんでしょうけど…。
省13
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