★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
155:2002/10/30(水) 23:24

黒竜 2001年11月11日日曜日 23時19分

左平さん、中根さん、私の雑な話題に注釈を入れてくださってありがとうございます。

何しろ新唐書のあまりの書きっぷりに興奮冷めやらぬもので…
省12
156:2002/10/30(水) 23:24

ぐっこ     2001年11月12日月曜日 00時38分

 >崔氏
いまのところ手元の資料は三国志と辞書だけの状態なので、詳しくは判らないんですが…。崔鈞は、「銅臭ェんだよオヤジは」って言った人ですよね(西河太守として反董卓連合にも参戦)。で、崔州平は孔明の友人。崔均はその州平の兄。
…やっぱり三(以上?)兄弟っぽい状況ではありますが…。
省16
157:2002/10/30(水) 23:25

左平(仮名) 2001年11月12日月曜日 20時43分

宮城谷三国志でどの程度まで「後世の」資料を使うかですが、、一つ、蛇足までに。
第一回で楊震の「四知」という言葉が出てくるのですが、その内容は資料によって若干のずれがあります。元ネタの『後漢書(楊震伝)』では「天知る、神知る、我知る、子(汝)知る」、『資治通鑑』では「天知る、地知る、我知る、子知る」となっているのです。
そして、宮城谷三国志で採用されているのは、後者です。「天、神」よりも「天、地」の組み合わせを好んだというのもあるでしょうが、『資治通鑑』は北宋の司馬光の著作ですから、ひょっとしたらひょっとします。
省7
158:2002/10/30(水) 23:26

黒竜 2001年11月12日月曜日 20時52分

残念ながら薛蘭は孟嘗君とは無関係なんです。
自分も薛氏と言えば薛綜の子孫とばかり思っていたので度肝を抜かれたんですが、
周初から春秋はじめまで薛侯であった家のようです(信憑性はともかく)桓公に逆らって国替えされ、
省17
159:2002/10/30(水) 23:27

ぐっこ     2001年11月13日火曜日 01時23分

 >左平(仮名)様
ふえ…。宮城谷先生がそうである以前に、左平様の史料の幅広さに呆然としておりますが、いかがお過ごしでしょうか(;^_^A
四知…わたしも後者の天地バージョンしか知りませんでした〜(;^_^A そうか、原文は天と神だったわけですね…。当時の様式からいって、そのほうが正解なんでしょうけど…。
省13
160:2002/10/30(水) 23:27

中根東竜   2001年11月13日火曜日 14時36分

>ぐっこさん
>それにしても、中根東竜様、それだけの史料、どこで集められたのですか〜(T-T) うちの近所には図書館しかなくて…。

省39
161:2002/10/30(水) 23:28

左平(仮名) 2001年11月13日火曜日 22時39分

>ぐっこさん
史料の幅広さ、と言われると、少々気恥ずかしいです。中根東竜さんにくらべると、私の手元には、まったくと言っていいほど資料はないんですよ。
あるのは、宮城谷昌光氏の作品(それも、春秋まで。戦国以降はまだ一部)と陳舜臣氏の作品の一部(ほか、塚本ヨ史氏、伴野朗氏の作品が少し)、『韓非子』(現代語訳付きのもの)、白川静氏の『字統』(普及版)、先述の『新字源』(普通の漢字字典です)、それと『三国志全人名事典』くらいのものなんです。
省10
162:2002/10/30(水) 23:32

玉川雄一   

ちょっと発見、というか見落とし。
以前書きました晋書登場の三国志関連人物一覧の中で、李重なる人物。
あの時は忘れていましたが、彼は李通の曾孫です。
省13
163:2002/10/30(水) 23:33

ぐっこ     2001年11月23日金曜日 00時55分

なんと! 李通の子孫は晋に残ってるですか!?
いやあ、それはよかった! 彼も名声と武勇のわりにサクッと亡くなってるので寂しいなあと思ってましたが、これで一安心。
やっぱりひい爺さんとは似ても似つかない青瓢箪なんでしょうか…?
164:2002/10/31(木) 00:12

おばら 

補足!
周知ですが薛綜が孟嘗君の子孫だとか。まあ、これも怪しいといえばキリがありませんねぇ。^-^;;
ドマイナ〜薛公ですが、もともと楚の令尹(宰相)だったとのこと。しかし戦国熊氏の楚なのか、項羽の西楚なのか、はっきりしませんねぇ。
省10
1-AA