下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
157: 2002/10/30(水) 23:25 左平(仮名) 2001年11月12日月曜日 20時43分 宮城谷三国志でどの程度まで「後世の」資料を使うかですが、、一つ、蛇足までに。 第一回で楊震の「四知」という言葉が出てくるのですが、その内容は資料によって若干のずれがあります。元ネタの『後漢書(楊震伝)』では「天知る、神知る、我知る、子(汝)知る」、『資治通鑑』では「天知る、地知る、我知る、子知る」となっているのです。 そして、宮城谷三国志で採用されているのは、後者です。「天、神」よりも「天、地」の組み合わせを好んだというのもあるでしょうが、『資治通鑑』は北宋の司馬光の著作ですから、ひょっとしたらひょっとします。 場合によっては、清の歴史家・趙翼の『二十二史箚記(にじゅうにしさっき)』(二十二史=二十四史【『史記』から『明史』まで】−二史【『旧唐書(くとうじょ)』・『旧五代史』】。箚記=書物を読んで得た感想や考えなどを随時書き記したもの。 )まで出てくるかも、、もうここまで来たら、私にはちんぷんかんぷんなのですが。以上、角川書店の『新字源』から。
158: 2002/10/30(水) 23:26 黒竜 2001年11月12日月曜日 20時52分 残念ながら薛蘭は孟嘗君とは無関係なんです。 自分も薛氏と言えば薛綜の子孫とばかり思っていたので度肝を抜かれたんですが、 周初から春秋はじめまで薛侯であった家のようです(信憑性はともかく)桓公に逆らって国替えされ、 その後楚に滅ぼされると博徒などに身を落としていたようですが、漢初に黥布討伐の献策をした薛公がでて再興し、薛蘭へ… …あやしい……博徒のあたりが限りなくあやしい… 李封は見つかりませんでしたが、今度は広武君李左車が趙郡李氏の系図のなかにいました。趙の名将李牧の孫らしいんですが…これって史記に書いてありましたっけ? あと崔鈞と州平のことですが、仮に同一人物だとしたら 軽蔑していたとはいえ戦乱に死んだ父の人生に無常を感じ、 荊州に流れて以後仕官せず… なんて、あまりにも小説的すぎますね…
159: 2002/10/30(水) 23:27 ぐっこ 2001年11月13日火曜日 01時23分 >左平(仮名)様 ふえ…。宮城谷先生がそうである以前に、左平様の史料の幅広さに呆然としておりますが、いかがお過ごしでしょうか(;^_^A 四知…わたしも後者の天地バージョンしか知りませんでした〜(;^_^A そうか、原文は天と神だったわけですね…。当時の様式からいって、そのほうが正解なんでしょうけど…。 しかしまあ、田中芳樹先生が仰ってた「演義さえろくに読まずに三国志モノ書いて、中国小説を書いたと宣伝する勘違いしてる作家(女将軍伝あとがきより)」が雨後の竹の子のように生え揃ってる中、宮城谷先生は目立ちますよね〜。 >黒竜様 薛蘭、孟嘗君の薛氏とは違いましたか〜。残念なようなホッとしたような…。でも孟嘗君以上に名門なんですね〜! ……本当だろうか(;^_^A それに李氏。李左車が李牧の孫…? う〜ん…? なんか、趙の名将の孫かひ孫が、これまた有名な人物だった…という話をどこかで読んでるんですけど…たぶん李ではなかったような…。 後世の家系図は、つなぎ換えも承ってるのか!?(;^_^A それと崔修平。崔鈞と同一人物だとすると、なるほど……ドラマチック。後漢末の爛熟した空気にうんざりしてたうえに、董卓と真っ向から対立…。疎開先の襄陽アカデミーで、見込みのある若者に政治の要諦を伝える…。崔修平、案外格好いい人かも…
160: 2002/10/30(水) 23:27 中根東竜 2001年11月13日火曜日 14時36分 >ぐっこさん >それにしても、中根東竜様、それだけの史料、どこで集められたのですか〜(T-T) うちの近所には図書館しかなくて…。 前の投稿で挙げた史料は神保町に3年ほど足繁く通って(神保町は通勤・通学ルートの途中なので)、かき集めた物です。 ですから、神保町に通えばぐっこさんも入手できますよ。 >関羽 『新唐書』をみてみましたが、関氏系図は唐の徳宗の宰相を やっていた関播という人物のでっち上げかも。 だって、始祖が伝説の人物・関龍逢で、その後全く記述無く 関羽ー関興と続くのは非常におかしいです。その関興の子孫を 称した人々が住んでいた地域も魏の領土内の信都ですからねぇ。 なんで蜀の武将の子孫が魏に移動しているのでしょう? しかも、他の系図には最近の人物が複数書かれているのに、関氏 系図のみは関播一人のみ。・・これは妙ですな。 >黒竜さん >関龍逢のことですが「商大夫」とあったので商の人かと思いました… これは単純に『新唐書』の誤りと考えて良いと思います。歐陽脩(『新唐書』の筆者)も何でこういうケアレスミスをするかなあ? もっとも、この系図自体先に述べたように関播の偽作の可能性が 否定できないので、関播が朝廷に提出した系図が既に誤っていた のかもしれません。 >左平(仮名)さん 『資治通鑑』を使うのは中国史の記述をするときには良くありますので、他の後世の史料とは分けた方が良いかも。 『資治通鑑』は、正史以外の実録・野史の類を司馬光はふんだんに持っていて、それをかなり正確に配置しているので、正史の次に(正史が誤っている時には正史以上に)重んじられる史料ですからね。後世とはいってもこれは別格。宮城谷氏が使うのも良く分かります。 なお、『二十二史剳記』は新しい史料を引用するのではなく、 単に正史の事項を研究した本なのでちょっとこれは用いないでしょう。 四知の話しも載っていないはずです。
161: 2002/10/30(水) 23:28 左平(仮名) 2001年11月13日火曜日 22時39分 >ぐっこさん 史料の幅広さ、と言われると、少々気恥ずかしいです。中根東竜さんにくらべると、私の手元には、まったくと言っていいほど資料はないんですよ。 あるのは、宮城谷昌光氏の作品(それも、春秋まで。戦国以降はまだ一部)と陳舜臣氏の作品の一部(ほか、塚本ヨ史氏、伴野朗氏の作品が少し)、『韓非子』(現代語訳付きのもの)、白川静氏の『字統』(普及版)、先述の『新字源』(普通の漢字字典です)、それと『三国志全人名事典』くらいのものなんです。 ですから、先に書いた内容は、すべて手持ちの漢字字典から拾い出したものです。なお、「四知」の内容が「天、神〜」と「天、地、〜」の二種類あるというのは、宮城谷氏自身が『三国志』の第一回で書かれています。 >中根東竜さん 非常に詳しいご説明、ありがとうございました。『資治通鑑』、手頃なものがあれば入手したいものです(私程度の素人には、『十八史略』(現代語訳付き)くらいが現実かな?)。 ただ、神田神保町までは、私もぐっこさんも、なかなか行きにくいのですが、、」
162: 2002/10/30(水) 23:32 玉川雄一 ちょっと発見、というか見落とし。 以前書きました晋書登場の三国志関連人物一覧の中で、李重なる人物。 あの時は忘れていましたが、彼は李通の曾孫です。 李重の父、李秉が晋書だと「李景」になっていたのです。 これは、唐の高祖・李淵の父、李キのヘイに通じるのを避けたそうで。 確認してみれば、李秉の父は李緒、李緒の父が李通と。 李通は周瑜ともども、再開後の蒼天航路での登場が危ぶまれていますが… 彼の子孫は頑張っているですよ!
163: 2002/10/30(水) 23:33 ぐっこ 2001年11月23日金曜日 00時55分 なんと! 李通の子孫は晋に残ってるですか!? いやあ、それはよかった! 彼も名声と武勇のわりにサクッと亡くなってるので寂しいなあと思ってましたが、これで一安心。 やっぱりひい爺さんとは似ても似つかない青瓢箪なんでしょうか…?
164: 2002/10/31(木) 00:12 おばら 補足! 周知ですが薛綜が孟嘗君の子孫だとか。まあ、これも怪しいといえばキリがありませんねぇ。^-^;; ドマイナ〜薛公ですが、もともと楚の令尹(宰相)だったとのこと。しかし戦国熊氏の楚なのか、項羽の西楚なのか、はっきりしませんねぇ。 黥布を破る献策をして1000戸の大名になっています。でも史記高祖功臣侯者年表には1000戸の薛公の名は無いので、列侯にはなれなかったみたいです。っていうか、たぶん公って名じゃないような・・・。 そして、李牧と李左車。史記にはそういった関係は見当たりませんね。 実際のところ、どうなんでしょうか・・
165: 2002/10/31(木) 00:13 黒竜 2001年11月13日火曜日 20時42分 新唐書宰相世系表は読めば読むほどあやしさを増していきます。 試みに漢楚の人物を捜したところ、 鍾離眛…→(中略)→鍾ヨウ。。。などは序の口、 陳余が陳嬰の息子だったり、劉邦の父親の名前はおろか字までのってたり… これだけあやしいと最早どれだけいかがわしい家系図かを楽しむ世界です…
166: 2002/10/31(木) 00:14 ぐっこ 2001年11月14日水曜日 00時37分 >中根東竜様、左平(仮名)様 いや〜、私は神戸ですから、左平(仮名)様の仰るとおり、聖地巡礼もままなりません(;^_^A 古びた地下古書市で、ごくまれに掘り出し物にぶちあたるくらいで…。神保町いいなぁ…。 左平(仮名)様、それだけあれば充分です〜! 私も最近になって宮城谷作品(文庫のみ)かきあつめてますが、ハードカバーの子産や沙中の回廊は図書館で借りたきり…。あとは三国志文献のコピー少々のみ。こないだ三国志研究要覧を県立図書館から取り寄せたのですが、膨大な数の三国志論文に呆然…。みんなこんなに読んでるの!? プロは凄い、と思いました。 資治通鑑、私も欲しいです! 図書館にあるのは抄訳だから…。 >関羽 ちょうどいま手元にあった新潮選書の「関羽伝」によると、現在関羽の故郷である常平村には、関羽六二世が存命中とのこと(;^_^A まえNHなんとかいうテレビ局がやってた諸葛村に近いノリですが、その関新剛氏は党委書記として村の世話役のような方だとか。 残念ながら家系図は一部のみしか記されてないんですが、どうも関羽――関興――関彝……関朗――関康之(←日本人みたい(;^_^A)――関播……と続くようです。 うさんくさいなあ…(;^_^A
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