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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
245:MM2 2003/12/03(水) 10:50 どうもお久しぶりです。 羊陟の一族と羊コの一族についてですが、誤訳しててわかりにくくなってました。 後漢書集解の蔡ヨウ伝に「欧陽尚書九族妻族二対門九族乃妻族也…」とありまして、 「『欧陽尚書』によると「九族妻族二」とあり、「対門九族」とはすなわち妻族のことである」 という意味ではないかと。 蔡ヨウの一族と羊陟の一族は妻の一族を介して縁続きで、更に蔡ヨウの外孫に羊コがいます。 言及はされていませんが一族の可能性は高いと思います。
246:MM2 2003/12/03(水) 11:00 連続ですみません。 >蔡ヨウの一族と羊陟の一族は妻の一族を介して縁続きで、 妻の一族を介して…ということではなく、蔡氏と羊氏は互いに娘をやって姻戚同士だったという意味かもしれません。
247:japan 2003/12/04(木) 23:55 ぐっこ様、MM2様、羊陟に関する情報をありがとうございました。 三国志事典15X-31X様も拝見してまいりました。 「泰山の党人の首魁」にして蔡ヨウの一族とも姻戚関係がある。 ますます羊コと親戚筋にある可能性が強くなったように思います。 『晋書』羊コ伝の冒頭に「至コ九世、並以清徳聞」とあるのも 累代清流派士大夫の家系であったことを示唆していますし。
248:★ぐっこ 2003/12/04(木) 23:58 あ、ご無沙汰しておりますー! そしてアドバイスありがとうございます! あー、集解で注釈されるくらいマイナーな表現でしたか…。 太山黨魁羊陟與邕季父衛尉質對門九族 に限って言えば、羊陟か蔡質のどちらかの妻の一族が、先方と 繋がっている、と限定できるかなあ。…と思えば>>246の考え方 もあるわけで… ともかく、蔡邕と羊コは縁続きなわけですし、ヤハリ泰山諸県に、 それなりの数の分家が散らばっていた、というところでしょうか? MM2さま、貴重な情報ありがとうございました!
249:japan 2003/12/05(金) 00:14 あと>>241の訂正ですが、 >晋の景陽皇后=羊徽瑜は羊コの姉。 すいません、この記述は私の勘違いでした。 というか「晋の景陽皇后」などという人物は存在しませんでした。 ……ハイショーシ君、ドウイウコト? 晋景帝=司馬師の皇后として『晋書』に立伝されているのは ・景懐夏侯皇后:夏侯徽(夏侯玄の妹) ・景獻羊皇后 :羊徽瑜(羊コの姉) の二人。どちらの諡号も「陽」ではありませんでした。 司馬師はこの二人の他に呉質の娘も妻にしていますが、彼女は子も無いまま離縁されて 皇后が追贈されている様子も見受けられません。 でもって、もう一人の羊皇后――羊獻容の晋書における記述は「惠羊皇后」なんですよ。 「惠羊皇后」と「景陽皇后」。「羊獻容」と「景獻羊皇后」。 ……ますます二人の羊皇后の記述が交じり合ってしまったような匂いがします。
250:★玉川雄一 2003/12/05(金) 00:30 >景陽皇后って誰やねん? 私もコレ、不思議でしょうがないのデスが。 ごっちゃになってるのか別人として存在したのか? 皇后クラスの記録が一人分抜け落ちるというのもアレですど。 やはり混同説が怪しい気がしますが… 真実はひとつですし、それがもし仮に実はとんでもなくアホらしい理由だったとしても、 今となっては真相は歴史の闇の中…? 何か別の角度からスパッと解決するような史料はないものでしょうかね。
251:むじん 2003/12/07(日) 02:19 集解に…(^^;
252:★玉川雄一 2003/12/07(日) 09:50 Σ(゚Д゚;) ま た 集 解 か _| ̄|● これはもうむじんさんをラチカンキンした上で一日18時間集解漬けにして、 一刻も早く全訳を世に広めて頂くしかないんじゃなかろうか? ↑ 自分でも努力しろ
253:★ぐっこ 2003/12/07(日) 13:41 >>251 Σ(゚Д゚;) 詳細を! 集解欲しいよ。 ↑ って前の蒼天スレと同じやん… 義兄上、やっちゃおうよ。むじんさま拉致っちゃおうよ。
254:むじん 2003/12/08(月) 04:26 うわぁぁぁ拉致るれろろろ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル 拉致られる前にげろっちゃう。 『夏侯淵伝』荘,晋景陽皇后姉夫也. (集解)何シャク曰:「陽当作羊.此晋景献皇后也.」 陳景雲曰:「陽・羊古通用.欧陽集古録後漢熊喬跋碑云,碑中言:治欧羊尚書,以陽為羊.」 弼按晋書后妃伝,作景献羊皇后,后父ドウ,后母陳留蔡氏,漢左中郎将ヨウ之女也. 又案晋書羊コ伝,コ父ドウ,コ蔡ヨウ外孫,景献皇后同産弟. 拠此則ドウ有二婿,一為夏侯荘,一為司馬師也. 『夏侯淵伝』夏侯荘は晋の景陽皇后の姉婿である。 (集解)何シャクは言う。「陽は羊と作るべき。これは晋の景献皇后である。」 陳景雲は言う。「陽と羊は古代では通用していた。『欧陽修集』の古い記録では後漢の熊喬の碑文の奥書にいわく、碑文中に(熊喬は)『欧羊尚書』を修めたと言う。陽を羊としているのだ。」 盧弼が『晋書』后妃伝を調べてみると、景献羊皇后と作り、皇后の父は羊ドウといい、皇后の母は陳留の蔡氏で漢の左中郎将蔡ヨウの娘とある。 また『晋書』羊コ伝を調べると、羊コの父は羊ドウといい、羊コは蔡ヨウの外孫で、景献皇后の同腹の弟であるという。 これによれば、羊ドウには二人の娘婿がおり、一人は夏侯荘、一人は司馬師である。 つなみに陽と羊は現代語でも同じ発音(Yang2)ですね。 ああ、それと陽の字は少しあとの東晋時代の諱字になってます。本件とは関係なかったですが。 こんな感じです〜。
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