★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
2:2002/10/27(日) 21:57AAS

玉川雄一[関東] > (2001/07/27(Fri) 09:43:02)

まず、元になる三国志キャラにつきましては「当時も今も(我々にも)」メジャーなのか、とりあえず当時だけでもメジャーだったのか。

後者の例としましては、瑯邪の王氏。高官を多数輩出した相当な名家だったようですが、「三国志」での知名度は皆無ですよね。
省13
3:2002/10/27(日) 21:57AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/27(Fri) 21:59:52)

琅邪の王氏も、けっこうしぶとく文化史に登場し続けるんですか!書の正流なんでしょうか?
あ、書と言えば、やはり達人と知られた弘農の張兄弟は、かの熱血爺張奐の息子たちだったんですよねえ。
陶侃…交州刺史、というと呂岱とかの後継でしょうか。この息子さんが、東晋時代に活躍すると…。案外誰の子孫が才幹を持って産れるかわからないものですねー。

省16
4:2002/10/27(日) 21:57AAS

玉川雄一[関東] 投稿日:2001年07月26日 (木) 08時50分17秒 

さほど出世したかは定かではないですが、『晋書』には甘卓なる人物が立伝されています。
三国志で甘姓といえば、そう、甘寧の子孫らしいのです。

省18
5:2002/10/27(日) 21:58AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/26(Thu) 21:19:53)

おお!? 甘寧の子孫が晋書に!? そこまで系譜が残っているのなら、新武将として累代登録も可能!(;^_^A 正史に甘述の名がないということは、庶子だったのか…。東呉は軍団単位で世襲しますから、嫡子以外は分家を許されない限り歴史に埋没してしまうんですよね。

にしても西暦322年…。曹操が生きていたら170歳ってところでしょうか? こうしてみると歴史は止まらないものなんですね…。

省9
6:2002/10/27(日) 21:58AAS

玉川雄一[関東] > (2001/07/28(Sat) 00:19:46)

>案外誰の子孫が才幹を持って産れるかわからないもの
ま、それを言ったら劉備やら皆さんの親御さんだって… というのはキリのない話ですか(>_<)

省8
7:2002/10/27(日) 21:59AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/29(Sun) 00:43:08)

 >japan様
杜預!征南元帥閣下の子孫に、かの二代目詩聖・杜甫が!? 実は知りませんでした(;^_^A
そういえば、周瑜がどうしたとか、白帝城がどうしたとか、王濬がどうしたとかいう詩はあっても、魏の諸将を讃える詩は詠んでないんですね〜。やはり、このころから魏=悪役なんでしょうか〜?
省9
8:2002/10/27(日) 21:59AAS

玉川雄一[関東] > (2001/07/29(Sun) 01:21:23)

あ、もしかするとぐっこさんの仰った事って私のとはズレてるかもしれないです。念のため。
劉備の父…劉弘だそうですか、そこからすると、息子が遠い巴蜀の地で皇帝を称することになろうとは思わなかっただろう、ということです。
一応、劉備には何らかの「才幹」があったと前提しての発言でした。
省11
9:2002/10/27(日) 22:00AAS

玉川雄一[関東] 投稿日:2001年07月26日 (木) 00時27分13秒 

味好漢列伝から出張版。

盧[言甚]の系統は危ういかも、です。というのも、かれの曾孫の盧循(于先、?-411)は「晋末の大賊」だそうでして、大規模な叛乱を起こして終いには斬られたそうなんですよ。
省15
10:2002/10/27(日) 22:00AAS
ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/07/26(Thu) 00:39:17)

なるほど! 盧植の直系は途絶えた可能性もあるのですか!残念。
楊家は確かに有名ですね! あ、そういえば玄奘の先祖って楊氏だったっけ? かなりうろ覚え(;^_^A 
11:2002/10/27(日) 22:00AAS

玉川雄一[関東] > (2001/07/26(Thu) 01:04:30)

しかし、盧毓自体が盧植の四男ですし、盧毓の子、孫の代と進んで子孫も増えてゆきますから、盧[言甚]の件で族滅されたとも考えにくいですね。

ところで玄奘さんの祖先。「三國志IV事典」には、「玄奘の祖先」として陳羣の顔グラフィックが載っていました(本文に記述無し)。
省7
1-AA