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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
207: 2002/11/01(金) 22:04 おばら 2001年12月29日土曜日 02時45分 『新唐書宰相世系表』読んでみたのですが、まだまだ陸家系図書き足せそうですねぇ。 褒−紆−駿−瑁−穎−濯−漢公−冽−元之−英−玩−始−萬載−子真−惠徹−閑−完−丘−[王深]−柬之−まだまだ続く・・・・・ って唐の玄宗期だああああ!!!
208: 2002/11/01(金) 22:05 おばら 2001年12月29日土曜日 02時55分 系図作ってくださる奇特な方がいらっしゃいましたら http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=1102970918&path=/18.3.18 で陸家その後が詳しくわかりますのでどうぞ(爆爆」 あと、 http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=1102970918&path=/18.3.18.4 で呉の孫家のことチラッと触れてますね。 探せばでてくるもんだ・・・。
209: 2002/11/01(金) 22:05 おばら 2001年12月29日土曜日 20時14分 上のリンクはねられてます・・。すいません。 ・・ ・・・ ・・・・ といいつつ、卒論の合間に結局陸家系図作ってる・・・(T▽T)
210: 2002/11/01(金) 22:05 NOB 2001年12月29日土曜日 21時20分 中央研究院の漢籍電子文献、直リンクはできないようになっているんですよね。あと、プロキシを使うと使えないことがあるとか。 『新唐書宰相世系表』は、漢籍電子文献のトップから「二十五史>新唐書>表」で行けます、陸氏については、さらに「宰相世系三下>陸氏」で。 >おばらさん 孫権の祖父・孫鍾が『宰相世系表』に出てきているとは知りませんでした。 余談なのですが、瓜を司命星に恵んだため子孫が高貴になった話が『幽明録』などに載っています(『三國志集解』にもひかれていたような記憶が)。それによると瓜を売って生計を立てていたそうですが、本当に世系表にあるとおり太守の子だったとしたら、わずか数年でそこまで没落した理由って一体…(爆)
211: 2002/11/01(金) 22:06 ぐっこ 2001年12月29日土曜日 21時21分 いかん、これではおばらさまの負担が凄いことに…と思ってましたら、更新されるのですか!? あの、あまり無理はなさらずに…。手が空いたら私の方でも何とかしますから…! たしかに順をおってメモしていきましたが、頭狂います(;^_^A 陸家おそるべし… それにしても、以前おばらさまがつくってくださった系図と照らし合わせてみますと、見事に何箇所かミッシングリンクが! このへんは新唐書宰相世系表の編纂者と陸家のみなさんの腕の見せ所でしょうか(;^_^A 唐代…隋唐代ですよ!? 三國志が終わって、魏晋南北時代が終わった後の話!凄すぎ…。 ええと、おばらさまのリンク先ですが、 http://www.sinica.edu.tw/ の、「學術資源」→「漢籍電子文献」から。中林先生のサイトからリンクされてる漢文全籍資料庫のオオモトです(;^_^A 中国正史のほぼ総てが閲覧できる仕組みのようです。さあここで新たなる陸家を発掘するか!
212: 2002/11/01(金) 22:07 NOB 2001年12月29日土曜日 21時22分 すみません、ちょっと意味不明でしたが、余談のところは孫鍾にまつわる説話です。 すでに過去に出ている話だったらごめんなさい。読み流してくださいm(_ _)m
213: 2002/11/01(金) 22:07 ぐっこ 2001年12月29日土曜日 21時24分 ↑ 同時です(;^_^A NOBさまようこそ〜! 孫家の祖ともいうべき孫鍾のお話ですね! …さすがの新唐書宰相世系表も、孫家に関してはそれ以上の追跡は不可能でしたか…
214: 2002/11/01(金) 22:07 左平(仮名) 2002年01月04日金曜日 23時34分 そうそう、おばらさんのHPで陸氏系譜を拝見しましたが、陸康が二人いるんですよね(一人は陸績の父、一人は陸亀蒙の曽祖父→陸瑁の子孫 直系の先祖・子孫ではない)。 避諱(ひき:先祖の諱を避ける)といいますが、数百年も経つと、さすがにそう言ってもおられないのでしょうか。 類似した例として、周の武王と鄭の子産の父・子国が挙げられます(ともに、姓名は姫発)。こちらは、数百年経っていますが、直接の先祖・子孫の関係です。日本では、伊達政宗の例があります。
215: 2002/11/01(金) 22:07 左平(仮名) 2002年01月05日土曜日 00時10分 ↑約一週間が「ちょっと(の)間」って、、。 それはそうと、『三国志 きらめく群像』を読んでいて、諸葛氏の血縁関係をどう考えるか、という問題があったので、こういう風に考えてみたのですが、聞いて頂けますか? 上記の書き込みも、これを考える中での副産物なんです。 1,諸葛珪(しょかつけい)、諸葛玄(しょかつげん) 2,諸葛瑾(しょかつきん)、諸葛亮(しょかつりょう)、諸葛均(しょかつきん)、諸葛璋(しょかつしょう) 3,諸葛誕(しょかつたん) 1,2,3,のグル−プが、それぞれ同じ世代(起点となる人物からみて同じ世代という意味)と考える。名の発音が−e−が1,−i−が2,−a−が3,と考えてみました。 渡辺氏がおっしゃる様に、王ヘンがつく人・つかない人という分け方には十分な説得力があるのですが、一つひっかかるのです。諸葛瑾と諸葛亮が実の兄弟ではないのではないか、というのはいいのですが、では、諸葛亮と諸葛均はどうなるのか、なんです。同じ勢力に仕えていて、史書にも弟と書かれているのに実の兄弟ではないとは考えにくいし、かといって、名の字づらには共通性がないし。 私の仮説が合っていれば、諸葛瑾・諸葛亮・諸葛均は実の兄弟として考えても問題ない、となるのですが、、ただ、名へのこだわりをどう見るべきか(この仮説だと、諸葛珪と諸葛瑾は親子で王ヘンを使用している事になるが、親子の名に共通性があって良いのかどうか)というのがまだ完全にはクリアできていない様で。
216: 2002/11/01(金) 22:08 玉川雄一 2002年01月05日土曜日 00時38分 日本だと祖先の名を継ぐことありますよね。 伊達政宗しかり。 朝倉孝景しかり。 長宗我部元親しかり。 相良長毎しかり。(マイナーやな) この辺り、考え方が違うということでしょうか。 といいますか、親子で同名もいますし。 小山田信有(甲斐の豪族、郡内小山田氏)とか。 小場義実(常陸の武将)とか。 ところで、『三国志 きらめく群像』って以前も何度か出ていますが、 イケてる本なのでしょうか。 昨日、書店で偶然見つけたんですが購入は見送ってしまいました。
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