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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
213: 2002/11/01(金) 22:07 ぐっこ 2001年12月29日土曜日 21時24分 ↑ 同時です(;^_^A NOBさまようこそ〜! 孫家の祖ともいうべき孫鍾のお話ですね! …さすがの新唐書宰相世系表も、孫家に関してはそれ以上の追跡は不可能でしたか…
214: 2002/11/01(金) 22:07 左平(仮名) 2002年01月04日金曜日 23時34分 そうそう、おばらさんのHPで陸氏系譜を拝見しましたが、陸康が二人いるんですよね(一人は陸績の父、一人は陸亀蒙の曽祖父→陸瑁の子孫 直系の先祖・子孫ではない)。 避諱(ひき:先祖の諱を避ける)といいますが、数百年も経つと、さすがにそう言ってもおられないのでしょうか。 類似した例として、周の武王と鄭の子産の父・子国が挙げられます(ともに、姓名は姫発)。こちらは、数百年経っていますが、直接の先祖・子孫の関係です。日本では、伊達政宗の例があります。
215: 2002/11/01(金) 22:07 左平(仮名) 2002年01月05日土曜日 00時10分 ↑約一週間が「ちょっと(の)間」って、、。 それはそうと、『三国志 きらめく群像』を読んでいて、諸葛氏の血縁関係をどう考えるか、という問題があったので、こういう風に考えてみたのですが、聞いて頂けますか? 上記の書き込みも、これを考える中での副産物なんです。 1,諸葛珪(しょかつけい)、諸葛玄(しょかつげん) 2,諸葛瑾(しょかつきん)、諸葛亮(しょかつりょう)、諸葛均(しょかつきん)、諸葛璋(しょかつしょう) 3,諸葛誕(しょかつたん) 1,2,3,のグル−プが、それぞれ同じ世代(起点となる人物からみて同じ世代という意味)と考える。名の発音が−e−が1,−i−が2,−a−が3,と考えてみました。 渡辺氏がおっしゃる様に、王ヘンがつく人・つかない人という分け方には十分な説得力があるのですが、一つひっかかるのです。諸葛瑾と諸葛亮が実の兄弟ではないのではないか、というのはいいのですが、では、諸葛亮と諸葛均はどうなるのか、なんです。同じ勢力に仕えていて、史書にも弟と書かれているのに実の兄弟ではないとは考えにくいし、かといって、名の字づらには共通性がないし。 私の仮説が合っていれば、諸葛瑾・諸葛亮・諸葛均は実の兄弟として考えても問題ない、となるのですが、、ただ、名へのこだわりをどう見るべきか(この仮説だと、諸葛珪と諸葛瑾は親子で王ヘンを使用している事になるが、親子の名に共通性があって良いのかどうか)というのがまだ完全にはクリアできていない様で。
216: 2002/11/01(金) 22:08 玉川雄一 2002年01月05日土曜日 00時38分 日本だと祖先の名を継ぐことありますよね。 伊達政宗しかり。 朝倉孝景しかり。 長宗我部元親しかり。 相良長毎しかり。(マイナーやな) この辺り、考え方が違うということでしょうか。 といいますか、親子で同名もいますし。 小山田信有(甲斐の豪族、郡内小山田氏)とか。 小場義実(常陸の武将)とか。 ところで、『三国志 きらめく群像』って以前も何度か出ていますが、 イケてる本なのでしょうか。 昨日、書店で偶然見つけたんですが購入は見送ってしまいました。
217: 2002/11/01(金) 22:08 黒竜 2002年01月05日土曜日 02時20分 この話題には初参加の黒竜です。 >左平(仮名)さん 親子で名前に共通性がある例ならありますよ。 応[王旬]━応[王易] 応純━応紹 孫綽━孫[糸林] 王渾━王済 ざっと調べてこんなところです。 確かに少ないですが皆無ではないようです。
218: 2002/11/01(金) 22:08 左平(仮名) 2002年01月05日土曜日 02時42分 黒竜さん、わざわざ調べていただいて、どうもありがとうございます。 親子の名に共通性のあるケ−スが三国時代にありましたか!と、なれば、、
219: 2002/11/01(金) 22:08 ぐっこ 2002年01月05日土曜日 22時04分 歴代長スレの中でも屈指のロングランとなりました(;^_^A さておき名前についてですか〜。封地にしても同名の土地は避けると言いますが、基本的にチョクの諱をさける、という以外は、結構ニアミスとかありそうですね…。 >諸葛ニセ兄弟 たまに見かけますよね〜、この説。私は従来の設定を心情的に支持してますが、実際はどうなんでしょ。ニセ三顧の礼と同じく、単なる異説で あってほしいと思ってます…。 >漢字 たしかに一族で同じ部首の漢字を使う例はあるようですが、確かに親子となると…。
220: 2002/11/01(金) 22:08 おばら 2002年01月06日日曜日 01時19分 妄想レスですまんのですが、 「珪」とは「ガラスの原料」であり、 「瑾」とは「純粋で硬い玉」を意味し、 「亮」とは「あきらか。さえる。まこと。高らかによく通る声。」を意味し、 「均」は「ひとしくする。すべて。」と漢和辞典あるんで、 諸葛珪は、自分の名と合わせて、さらに三人の子の名を合わせて理想的な人間像とした?! 「透き通った玉のように、あくまでも純粋で硬骨を保ち、その明徳は高らかに響きわたり、すべての人に余徳が行きわたる。」な〜んてね。(^-^;; メッチャ妄想ですわ。 かんけーないスレ付けてスマンデスm(_ _)m
221: 2002/11/01(金) 22:09 左平(仮名) 2002年01月06日日曜日 02時27分 単なる妄想なのですが、ifものの小説でもつくる際に、諸葛均の“均”を“鈞”にしたらどうかな、とも考えています(彼を産んですぐに母親が亡くなっている、という事実も絡めて)。そうなると、、 ・瑾−美しい玉。→玉の持つ輝き→高潔な人格 ・亮−あきらか。→あかるさ→智の輝き (注:「亮」という字は、「京」と共通の字源を持つらしいです。ちなみに、「京」には、「京観(:けいかん。戦いの後、敵兵の屍を塗り込めてつくった凱旋門のこと)」という意味合いがあるとか) ・鈞−ひとしい、の他に、造物主や天の意味もあるとか。→金ヘンもあるから、金属の輝きもある、かな?→人々への恩徳・高貴さ (注:夏の啓王が、即位後、「鈞台」という所で諸侯をもてなしたという故事もあります) 三人の名には、それぞれ「明るさ」を示す意味合いが加わる事になり、共通性が出ます(ただ、これだと長兄・瑾の名が相対的に地味に…)。 それともう一つ、妄想ですが、、何故、諸葛瑾の字は「子瑜」なのに諸葛亮は「孔明」なのか?ひょっとしたら、元の字は「子明」だったのでは?てな事も考えています。 以上、ちょっとした妄想レスでした。
222:. 2002/11/02(土) 12:11 おばら ☆突っ込みどころ曼才!『捜神記』盧氏☆ えーと、三國志ゲーで盛り上がってるところすまんのですが、 『捜神記』を読んでいたらですね、盧植の祖先が載っていたですよ。 盧充さんというらしいのですが、なんと二十歳のときに幽界に迷い込み、幽霊の娘(もちろん娘も幽霊)崔温休と結婚し、初夜で妊娠させております。 で、三日で嫁と別れ(むちゃくちゃですな)この世へ戻ってくるわけなんですが、四年後の三月三日、盧充が川で禊をしていると、突然幽霊嫁タンとの幽霊義父さんが乗っていた二台の牛車が現れて、金椀と三歳になる崔温休と盧充の子を渡して去って行きます。 盧家では皆気味悪がって、この子に唾を吐きかけます(幽霊は唾が苦手だと信じられていたらしぃ)。 しかし、崔温休タンの棺の中に入っていた金椀がもとで、崔家盧家ともにこの子どもを崔温休と盧充の子と認めます。 そしてこの子は成長すると太守を歴任し、子孫は代々高官となり、その子孫のなかの一人が盧植さんだということです。 盧充・・・・盧植−盧毓−● −盧藩 倔ク欽−盧浮 倔ク挺−盧皓 倔ク志−盧氏|●−●−盧循 幽界と現世を結んだ盧家。その子孫に妖術で南方を騒がせた人物がでるとは・・・。 まぁ、史料的には×な『捜神記』なので…どうなんでしょ?(^-^;; あ、そういえば盧氏ネタ、かなり前のレスであったような…
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