★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
233:★玉川雄一2003/10/18(土) 17:09AAS
安定皇甫氏スレ立てようかと思ったんですけど自重して。
何かと紛糾する謎の「皇甫堅壽」について一考。

私は、少なくとも「堅壽」という一人であって、「堅」と「壽」の二人ではないと思います。
そして、この時代からしてやはり「堅壽」は字ではなかろうかと。
避諱処理がかかってるんではないかしら。(このレベルの扱いだと避諱があっても註が付かない場合がある)

原文によれば「堅壽亦顯名,後為侍中,辭不拜,病卒.」(漢籍電子文献の後漢書皇甫嵩伝)とのこと。
もし堅と壽の二人ならば、通例では「堅,壽亦顯名〜」というふうになるはずです。
標点本では、諱にしろ字にしろ別個の人物の名は「,」で区切るのが通例かと思われます。

また、劉表伝では「二子:[王宗],[王奇]〜」あるいは劉焉伝では
「焉四子,範為左中郎將,誕治書御史,璋奉車都尉,並從獻帝在長安,唯別部司馬瑁隨焉在益州〜」
とあるように複数人の子がいる場合には「○人」と最初に挙げている場合もあります。

やはり、「堅壽」は一人と見る方が妥当だったりしませんかね。
ちなみに私の「堅壽&叔献兄弟説」はもう一度世説新語(の註)を確認してみます。

なお、ある書物に載っていなくても別の書物から係累がたどれる場合もありまして、
例えば温恢は魏書温恢伝において子は温生一人しか記されていませんが、
晋書温羨伝によると、温恢の子としてもう一人温恭という人物が存在したことになります。
また同甘卓伝によれば、甘寧の子は呉書甘寧伝に載る甘カイの他に甘述がいたことがわかります。

その世説新語註のソースが信頼に足るものかどうかは、追って調査する必要がありますね。
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