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★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
272:MM2 2003/12/23(火) 01:38 更新ミスっててブルーなMM2です。 皇族といえば最近読んだ石井仁「曹操」に後漢末の曹操領内に現存していた皇族について(メモ程度ですが)書かれてました。 帝紀を読むと嫡流に近い皇族なんかは薨じた時期が載ってるので列伝と併せると、どのくらいの時期の人か絞るのは簡単ですね。 ビッグな皇族といえば皇帝の兄弟とかになるんでしょうけど、桓帝の場合は名前の残ってる兄弟が結構いる(安平王豹、河間王建、勃海王カイ、長社公主、益陽公主 ※長社公主の夫は雲台二十八将の耿ショウの弟の子孫耿授、益陽公主の夫は同じく雲台二十八将の寇恂の子孫)のでその辺の力が強かったのでしょう。 霊帝は不思議なことに名前の残っている兄弟が見えず、董后(霊帝の生母)紀を見ると董后の兄弟とか縁者の名前が結構挙がってますね。桓帝の梁氏ほどではないにしろ、外戚が強かったんでしょう。 最近雲台二十八将の子孫についても着目してます。二十八将の子孫て後漢末まで結構残ってますよね。本当に前漢と違って子孫の残りやすい環境なんですね、後漢王朝というのは。
273:★ぐっこ 2003/12/24(水) 01:54 激しく同意! 私も彼らの後の世代が気になります…。はっきりと分かってる呉漢や 昶Zらの子孫の他に、どういう人がいたのでしょう? 仰るとおり後漢王朝の性質上、宿将連中がけっこう子孫繁栄していて、 外戚系だとかなり後まで羽振りを利かしてるみたいですし。 後漢書の彼らの伝だと、末期までサーチできる人物ってそんなにいないのが 残念。せいぜい孫の代くらいまで封地引き継いだ人間の名前列挙して終わり。 彼らの子孫が、三国志前後でどういう評価を受けていたのか知りたいですねえ… >皇族 霊帝は、特に絶対皇帝になれっこなさそうな地方の亭侯クラスの皇族をひっぱって きたんでしたっけ…? それで親族縁者が乏しかったとか。
274:むじん 2003/12/24(水) 03:15 劉備の養子劉封が羅侯寇氏の出自ってのがどうもなぁ。 むしろ鄧氏じゃないかと…。どう思われます? 三国志集解でもスルーなんですが…もし二十八将の子孫だったら…おいしいね。
275:★ぐっこ 2003/12/25(木) 01:01 >>274 なんだって――――っ!? どれどれ…って調べようと思ったら、なんで昶Zの子孫ってこんなに 詳しくゾロゾロ列挙されてるんだ(^_^;) ちとじっくり調べられないので 先に質問してしまいますが、誰か子孫が羅侯に封じられてるんでしょうか? 羅っていったら、長沙のあたりですよねえ… そういえば昶Zも新野の人。搦ナは新野にほど近い義陽だからわかりやすいが… もし劉封=摯浮セとすれば、かなりハァハァなんですが。
276:むじん 2003/12/25(木) 03:04 いやー、それがよくわかんないんですよね。 鄧禹の孫娘が和熹皇后なんですが、彼女はかなりのお兄ちゃん子だったようで、 鄧隲は史上初の儀同三司になってたりします。兄妹で安帝を擁立しました。 鄧隲は謙虚な人柄で、何度も宮中を去って屋敷に帰りたいと訴えましたが、 太后は一年余りも渋ったのち、ようやく許可します。 鄧隲は弟三人とともに万戸侯に封ぜられますが、兄弟そろって堅く辞退、 とうとう勅使に見つからないよう逃げまどいながら宮中に参内して直訴します。 太后は許可せず、その遣り取りが5〜6回繰り返されてやっと認められたのでした。 鄧隲は倹約を心がけ、苦役を免除してやり、数多くの名士を推挙しました。 母の喪が明けると、また詔勅によって前職に戻れと命じられましたが、これも叩頭して辞退。 太后が逝去し、安帝は長じるとともに暗愚な君主へ…。 鄧氏に怨みを持つ者がいて、鄧隲の弟が平原王擁立を企てたと讒訴、 安帝の怒りを買った鄧氏はみな罷免され、ある者は自殺し、 鄧隲は羅侯へと転封され、そこで絶食して死にました。 その後の羅侯がどうなったのか、後漢書には記されていないようです。 劉封の祖先が鄧隲であるという確かな証拠はないんですが、 それ以上に、寇氏と羅国のあいだに接点を見出せないんです。見落としなのかな。
277:★ぐっこ 2003/12/26(金) 01:04 うい、ありがとうございます、むじんさま! 中央研究院の方で“羅侯”検索かけると、なるほど、寇恂の方は かすりもせず、晁ォや竇憲のほうでヒットしました… うーん、劉封自身の伝には長沙劉氏との繋がりも記されていたので、 あのあたりには外戚から派生した一族が勢力を張っていたのかな…? 確かに調べれば調べるほど面白い! 雲台二十八将の誰の子孫にあたる のか…。(←とも限らないのか) つうか、晁ォってひとも、よい外戚の鑑みたいな伝ですねえ…。初の儀同三司!? 搗セ后もかなりのやり手だったみたいだし…
278:左平(仮名) 2004/05/23(日) 23:27 僭越ながら、サルべ−ジ致します。「オ−ル讀物」の「戦国名臣列伝」に、一つネタがありましたので。 内容は、四方山の「宮城谷センセ総合スレッド(三国志以外)」に書き込みました。
279:MM2 2004/11/15(月) 23:57 図書館行って先日の論文が載ってる本(雑誌)借りて、 ついでに渡邉義浩先生の「後漢国家の支配と儒教」を借りたら腰を抜かすくらいの資料があってびびりまくってしまいました。 こりゃじっくり読むためにも一冊買わねばなと思ったのですが値段が物凄いですね。文庫化は望めないのでしょうか。 ところで今回はご教授願いに参りました。 上のほうで安定皇甫氏について書いているので、知ってる方がいましたらお願いします。 皇甫氏の血縁者を調べてたら晋書の方で出るわ出るわ。 ざっと系図を書き出したのですが、この周辺の人達の横の繋がりなどの情報がありましたらお願い致します。 棱─旗┬節┬嵩┬堅寿 │ │ └○─○─謐┬童霊 │ │ └方回 │ └○─酈 └規 ================= ○┬重─昌(養子) └商 ================= ○┬○┬典 │ └真 ├○─○─奮(真従子) └○─○─覆(真従子) ↓上の人たちとの血縁かと疑わしい人たち 安定 皇甫隆 安定功曹 皇甫澹 安定 皇甫 安定長史 皇甫序 安定 皇甫岌
280:★玉川雄一 2004/11/16(火) 01:26 横の繋がりは分からんのですが、 晋書のどこかで皇甫方回の子だか子孫というのを見かけた記憶があります。 どこだったかなあ、確か東晋の咸和年間(330年前後)辺りの誰かの伝の文中だったと思うのですが。
281:MM2 2004/11/19(金) 23:58 情報ありがとうございます。調べてみます。 こういう、(例え遠くても)血族かなーと思ってもそれを事実とできるだけの根拠がない場合って歯がゆいですよね。 段氏や羊氏など、挙げれば数え切れないほどそういう豪族がありますが、家系図作ってるときは特にそういう歯がゆさを感じることがあります。
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