下
★三国志キャラの先祖・子孫を捜せ★
94: 2002/10/27(日) 23:31 玉川雄一[関東] > (2001/08/29(Wed) 01:15:25) えと、羊[示古]のオジーさんの羊続の伝がありますね。巻三十一に。 チョイと前に、羊[示古]の父の羊ドウ(行がまえに首)の同名異人問題を調べていて、参考にしようとしたのですがあまり解決にはなりませんでした。
95: 2002/10/27(日) 23:31 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/30(Thu) 22:26:34) おお、羊[示古]のお祖父さんですと!? う〜む、後漢書は宝箱ですよね〜! 羊ドウですと…なるほど、他にも南陽出身の羊ドウさんがいらっしゃるのですね。しかしまた、羊[示古]の父親の名前って、どこに載って…って晋書ですよね〜。ああ、晋書も欲しい…。
96: 2002/10/27(日) 23:57 玉川雄一[関東] 投稿日:2001年08月31日 (金) 21時06分27秒 以前、陶侃の父、陶丹が呉の交州刺史だったと申し上げましたが、私の勘違いだったかもしれませぬ。 先程『解體晉書』さんのサイトで列伝の訳を拝見していましたら、「陶[王黄]伝」の初っぱなに、「陶[王黄]の父の陶基は呉の交州刺史となった」とあったのです。なんか、これと記憶がごっちゃになっているかもしれません。「陶侃伝」で確認できればいいのですが… 陶[王黄]の弟には陶濬がいます。また、陶基、陶[王黄]、その二人の子の陶威、陶淑、陶威の子の陶綏に至るまで、四代五人が交州刺史を歴任するという南方統治のエキスパート?な家系だったようで。 …やっぱ陶丹が交州刺史だったっての、勘違いかもなあ。
97: 2002/10/27(日) 23:57 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/31(Fri) 22:44:21) ちょっと確認してみましょう〜! まず陶丹というと陶淵明の遠い先祖で、 >ちなみに晋書には、巻九四、列伝第六四の項に「陶潜伝」があります。 >彼が陶淵明ですよね。そこによると >陶侃−陶茂−(不明)−陶潜(元亮、365-427) >確かに、陶侃の曾孫ですね。んが。 >陶侃伝(巻六六、列伝第三六)を見てみますと… >この巻には、最初に劉弘なる人物の伝があり、 >続いて陶侃、以下彼の子、甥の伝がズラリ。 >陶侃(士行、257-332) >以下彼の子の陶洪、陶瞻(道真、?-328)、陶夏、陶キ(劉表の次男と同じ字)、 >陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱。 >そして陶侃の兄の子の陶臻(彦遐)、陶興。 >……あら、陶茂は? そう、思いっきり怪しいのです。 >私が立ち読みした本にもこの点がツッコまれていました。 >やっぱり晋書がいけないんでしょうか。 >はっ、そういえば陶侃の父の陶丹は呉の交州刺史だったとか。 という家系ですね〜! で、陶[王黄]のほうはというと、呉の蒼梧太守として呉の最南端を守護し、交州の牧になった人物!なかなかの勇将だったようですね。 弟の陶濬は、呉の最後の荊州牧・鎮南将軍として晋軍を迎え撃ったはいいが、翌日兵士全員に逃亡されたという困ったさん。 彼らは丹陽の出身であったようですが、陶侃のほうはどうなんでしょう?
98: 2002/10/27(日) 23:57 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/31(Fri) 22:46:51) どうも交州って、世襲というか独立勢力っぽいイメージがありますので、同族でないと牧や刺史職をまわしたりできないかも…。 加えて、また時間軸の問題が発生しそうですね〜
99: 2002/10/27(日) 23:57 玉川雄一[関東] > (2001/09/04(Tue) 22:40:30) えー、「解體晉書」さんで教えていただけました。 やはり私の記憶違いでして、陶丹は呉の交州刺史になったという記録は残っていないそうです。間違いなく、陶基と混同していました。 しかし、陶丹は呉の揚武将軍だったそうです。出身は[番β]陽とのことで、やはり呉に仕えていたそうで。
100: 2002/10/27(日) 23:58 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/09/06(Thu) 22:59:20) なるほど、[番β]陽出身ですかー。じゃあ別口の陶氏ですね〜。 それより陶[王黄]、陶濬兄弟の方が気になる。丹陽の陶氏というからには、かの徐州の梟雄・陶謙と同族なんでしょうね〜。
101: 2002/10/29(火) 22:52 玉川雄一 ★ 丁奉の子発見!? ★ 晋書の三国志関連人物を洗うべくパラパラとめくっておりますと、思わぬ発見が!? これまではろくすっぽ目にも通さなかった「志」の部分を読んでいましたら、五行編に怪異現象じみたお話が。こりゃ面白そうと見ていますと、「豕禍」の項に呉の丁奉が登場! 三国志呉書丁奉伝では、彼の死後孫晧によって家族が強制移住されたと書かれていますが、実はそれは「豕禍」が原因だった? なんでも、丁奉の営に野豕が入ってきたことがあったそうで、遺族の災難もそれが原因だろう、と。 そして、発見! 晋書の例の件には、孫晧によって丁奉の子の丁温が殺されたとあるようなのです! 呉書には載っていない丁奉の子…ただいま、「解體晉書」さんで鑑定を依頼中であります。 うーむ、列伝だけでなく、「志」もあなどれませんな…
102: 2002/10/29(火) 22:55 ぐっこ 2001年09月23日日曜日 23時38分 なんとっ! 三国志に名の無い人物! 丁奉の子の丁温! しかも孫晧に誅されてる…。これだから晋書ってやつは〜! こりゃあ探せばウハウハですな〜!どんな人物がどんなところから飛び出して来るやら…。 正史で馴染の「索引探し」が出来れば随分楽でしょうが…。いいな〜! あ、私は引き続いて後漢書と格闘中。…漢文、嫌いです。
103: 2002/10/29(火) 23:02 左平(仮名) 「三国志全人名事典」から、姓または氏が同じというだけで「ひょっとしたら?」というご先祖候補の有名人をかたっぱしからピックアップしてみようかと、、。なお、出身地などは省略しておりますので、根拠は全くといっていいほど、ないです。また、韓・魏・趙、王・張・李・劉・曹・孫といったところは人数が多すぎるので省略。 【い】尹〜 尹佚(いんいつ:史佚とも)。周王朝初期の史官。成王がたわむれで弟の唐叔虞(晋国の祖)を「封じる」と言ったのを「そのとおりになさる様に」と諌める。「天子に戯言があってはならないのです」というのがその理由。→『重耳』(上) ・尹黙、尹賞など。 【え】衛〜 衛青(えいせい)。前漢・武帝の衛皇后の弟にして、大将軍。匈奴との戦いで戦功をあげる。彼の死後、巫蠱の乱(ふこのらん)で一族は滅んだはずですが、あるいは、、。→『霍去病』『中国傑物伝』 ・衛カン(王に灌の右側)、衛茲など。 【え】閻〜 閻楽(えんらく)。秦の宦官・趙高の親戚。二世皇帝・胡亥を自殺に追い込む。それだけ。→『小説十八史略』 ・閻圃など。 【か】華〜 華元(かげん)。春秋時代中期・宋の宰相。出目で太鼓腹という愛嬌あるキャラクタ−。晋・楚二大国の和平を斡旋。→『華栄の丘』 ・華キン(音に欠)など。 【か】カイ(萠にリ)〜 カイ通(かいとう)。韓信に「天下三分」を説いた説客。→『史記の風景』 ・カイ越・カイ良兄弟。 【か】霍〜 霍光(かくこう)。前漢の昭帝・宣帝を支えた実力者。「関白」の語源でもあります。彼の死後、霍氏は滅ぼされているはずですが、あるいは、、。→『霍光』 ・霍峻、霍弋親子など。
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